有明山神社

安曇野市穂高大字有明7271−1(平成18年9月17日)
                      (平成18年10月14日・追記)

【狛犬情報・ジンジャーさんより】
 「初めてメールさせていただきます。
 長野県に住んでおりますジンジャーと申します。神社仏閣が好きで、といってもほとんど良く知らないのですが、たまたま昨日行って良かった神社を紹介させていただきます。
 安曇野市の山裾にあります「有明山神社」という神社です。ここのお薦めは狛犬さんです。山門の手前に少し大きめな狛犬さんがいらっしゃいます。明治時代の作成だと思いますが、形式等はよくわかりません。大きな頭としっかりした胴体で、雨風に曝されて少し変色した石に緑色の苔が付いて、年代を感じさせて素朴な中にも静かな迫力があります。こちらのHPの、長野県飯田市の長姫神社の狛犬さんをもっと素朴っぽく大きく獣っぽくした感じでしょうか…。
 それからそこより少し手前にも石柱の上に黒い小さな狛犬さん(やはり明治時代?)や、手水舎の屋根にもかわいい元気な飛び狛犬さんがいらっしゃいます。
 この神社もかなり寂れて…いえ古びていますが山門も社殿もしっかりしています。変わっているのは、山門に仁王様ではなくて随人の格好の神像?があることです。神社には普段は人がいないようです。山裾にひっそり佇んでいるといった風情です。
 場所は穂高温泉郷を山の方へ少し入ったところです。穂高駅から車で15〜20分位でしょうか。観光マップにも載っていると思います。
 有明神社のすぐ隣には地元で有名な「くるまや」という蕎麦屋さんがありますのでそれを目安にされてもいいと思います。穂高温泉郷には他にもお蕎麦屋さんや小さなレストラン等もありますのでこちら方面においでの際のご参考になればとご報告した次第です。

 また、もし信州においでになる時は、御紹介した有明神社の他に仁科神宮と若一王子神社もお薦め致します。
 仁科神宮(仁科神明宮)は個人的に大好きなお宮さんで、 伊勢神宮に似た造りの小ぢんまりした社殿が山の中腹に鎮座されています。 時代も古いので?狛犬さんはいらっしゃいませんが、白木造りのお社が 森や自然と静かに一体化してちょっと他の神社と違うなんともいえない 清々しい佇まいなのです。
 若一王子神社は、三重の塔もある見事な神社です。珍しい子供による流鏑馬神事もあります。」というお便りを戴きました。


 この神社は有明山頂に鎮座する本社(奥宮)の里宮にあたります。有明山(標高2268m)は古来から西行などにより歌に詠まれるほど有名な山で、南北に北岳・中岳・南岳の3つの峰が並び、中岳と南岳にこの社の本社(奥宮)があり、里宮は遥拝所でした。神話では、天照大神の岩戸隠れのとき、手力雄命が岩戸を除き放り投げたら、その岩がここに落ち、戸放ヶ岳といったといわれています。短歌を集めた「残月集」が現存しており、「残月」とは有明の月の事で、明け方の薄明かりの中この山にかかる月をいい表し、有明山という山名の由来となりました。中世には坂上田村麻呂が東征の折戦勝を祈願して刀剣を奉納したり、後鳥羽上皇が領主仁科氏に国家隆盛を祈願させ、刀と「かたしきの衣手寒く時雨れつつ有明山にかかる白雲」という歌を奉納したりしている由緒ある古社です。本来山自体が御神体山でしたが、中世になり修験道が盛んになった頃には6坊があったといいます。明治8年に神仏分離が発布され宮城口に里宮が造営されました。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命他です。
 前回はすぐ近くの穂高神社で時間切れとなってしまい、こんな近くにこんなに良い神社があったのに参拝出来ず、惜しいことをしました。長野市、戸隠、穂高には近々行きたいと思っていますので、その折には必ず参拝させて頂き、素朴な中にも静かな迫力がある狛犬さんや黒い小さな狛犬さん、手水舎の屋根上のかわいい元気な飛び狛犬さんにご挨拶してきたいと思います。ありがとうございました。


 というジンジャーさんからのお誘い(とかってに解釈して)に喜んで乗った私達は、早速ここ有明山神社にやってきたのでした。神社は想像以上に素晴らしく、又、「くるまや」さんのお蕎麦は、美味しくて安くて量があって、神社共々すぐにも再訪したい気持ちにさせられました。

神社入口
この右手に地元で有名な蕎麦屋
「くるまや」があります。
この大きな台輪鳥居を潜ると、様々な木々が織りなす緑のトンネルの中、気持ちの良い長い参道歩きが始まります。
参道の様子。
「信濃日光」といわれる所以となる、裕明門が見えてきました。
裕明門前から参道を振り返る
多分日露戦争なのでしょう、「戦捷記念」と書かれた高い石柱の上に乗っている、ブロンズの狛犬さん。
戦捷記念だからでしょうか、にこやかで福々しく、且つ筋肉質で力強い感じがします。
(明治37・8年建立 戦捷記念)
市指定文化財、山口権之正作・手水舎(明治35年建造)
ここにも沢山の木鼻などの彫刻が施されています。
手水舎の上で飛び跳ねている瓦材の狛犬さん。
造りの良さもさることながら、細い後脚も、薄く装飾的な尾も、保存状態が良くきちんと残っています。
裕明門前にいる明治23年生まれの狛犬。
伊藤幸太郎という一人の石工さんの製作ですが、どうして阿吽がこんなに違うのでしょう。
正面から見るとよく似ているのですが、側面から見ると大きさも体つきも全然異なり、まるで他人の狛犬を組み合わせたかのように見えます。
吽は古いタイプの素朴で静的な狛犬のように見えますし、阿は中生代ジェラ期の恐竜のようで、凄いオーラと度迫力を感じます。


(松本町石工・伊藤幸太郎
明治23年9月15日建立)
明治35年、日光東照宮の陽明門に模して建てられた市指定文化財・神門「裕明門」表裏両面から

唐風3間1戸八脚門で、別名「信濃日光裕明門」とも呼ばれています。
十二支、二十四孝などを彫刻師・清水虎吉が彫り、格天井絵は田村香谷が描きました。
神門内、表には随神さん、裏には御神馬が置かれていました。
裕明門表側中央の彫刻
上から雲、蒲の穂のような植物と雷鳥のような鳥、龍が彫られています。
裕明門表側左右の彫刻
右側は上段に竹と虎、下段には牡丹の花と狛犬の親子が三匹いて授乳中です。
左側上段には兎が二匹お花畑の中で憩っており、下段では二匹の狛犬が鞠で遊んでいます。
裕明門角の木鼻狛犬。
この木鼻も前にいる石像狛犬同様、比較的尖った顔をしています。
裕明門妻の彫刻。
ここの屋根は力持ちの邪鬼さんが支えています。
その他、目も眩むほどの彫刻が施され、「信濃日光裕明門」の名も素直に納得がいきました。
田村香谷が描いた格天井絵・40枚。
まだ充分綺麗な彩色が残り、それぞれの動物、植物が生き生きと描かれているのが良く見えます。
彫刻師・清水虎吉が彫った裕明門中央内側の彫刻類。
私にはよく分かりませんが、十二支、二十四孝などが彫られているようです。
境内の様子 明治21年に建造された、横に広く立派な拝殿
拝殿に掛かっていた
「南岳御本殿」写真
拝殿に掛かっていた
「中岳御本殿」写真
拝殿内の様子 境内社
妙見 里の瀧へと続く
深遠たる鎮守の杜の様子
妙見 里の瀧
里の瀧脇にいた大きめの瓦材狛犬 境外社・長生殿


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