石貫神社

西都市三宅(平成21年1月7日)

東経131度23分47.67秒、北緯32度7分2.34秒に鎮座。

 この神社は西都原古墳群の東に静かで落ち着いた佇まいをみせて鎮座しています。一の鳥居左脇には日本初の花嫁の父といわれている山の神・大山祇命の像が置かれ、右側にはこの社の社名に因んだ洒落た「社号標」と縁の「天井岩」があります。境内はここから120m程真っ直ぐな参道を行きますが、正面には杉の鎮守の森が見え、境内入口には二の鳥居が建っています。境内の右側は黒々とした杉の林、左側は広々とした芝生の平地で、その中に朱の屋根を持つ拝殿・本殿が建立されています。

 御祭神:大山祇命
 由緒:この社は木花開耶姫の父の大山祇命が祭神で、古くは日能若・石貫大明神と称されました。
 弘治2年(1556)に神田十二町一反歩の寄進を受けています。天正15年(1587)の豊臣秀吉の島津出兵に際し、神社側が軍令に従わなかったとして、社領は没収されたという経緯があえりますが、その他にも貴重な古文書類が多く残されているといいます。

ひむか神話「記紀の道・石貫神社」
 『悪さばかりして人々を困らせていた鬼が木花開耶姫を見初め、父の大山祇命に嫁に欲しいといいます。そこでこれを断るために命は鬼に難題を吹きかけます。 「明日の夜明けまでに大きな塚を造れ」と。
 鬼はすぐに塚(古墳)造りに取りかかり、やがて完成した塚に安心した鬼は、うとうとと寝てしまいます。そのすきに命は天井石を一つ抜き取って遠くに放り投げてしまいました。
 やがて一番鶏が鳴いて、鬼も目覚め、命と一緒に完成した塚を見に行きましたが、天井石が一つ足りません。命は塚が未完成なのを理由に姫との縁談を断わりました。それがこの石貫神社の石で、石貫地区の発生となっています。』

「記紀の道」案内はこちらで

一の鳥居
一の鳥居左脇には日本初の花嫁の父といわれている山の神・大山祇命の像が置かれています。
この社の社名に因んだ洒落た「社号標」と縁の「天井岩」
参道の様子
社頭 手水舎
境内入口の二の鳥居 入口にある史跡案内板
拝殿
拝殿内の様子
本殿
「全国山神總本社 石貫神社改築之碑」 境内社:稲荷神社
境内社二社
 この台地状の丘の上に西都原古墳群があり、石貫神社天井岩の伝承に纏わる「鬼の窟古墳」や大山祇命の墓と伝承される古墳も存在します。鬼の窟古墳には加工した切石を積み上げた石室があり、天井石は畳2枚分ほどの大きな石が乗っていますが、面白いことに天井石がひとつ足りないそうです。
又、西都原古墳群には300基以上の古墳があり、瓊々杵尊の墓と伝えられる「男狭穂塚」は全長219m、木花開耶姫命の墓と言われる「女狭穂塚」は全長174mもあります。この巨大古墳が築造されたのは、5世紀前半と推定され、日向人の祖先神話の聖跡として知られています。