羽黒神社

西都市右松1191−ロ (平成26年2月9日)

東経131度24分51.28秒、北緯32度05分51.52秒に鎮座。

この神社は、西都市役所の南東1.5km程の辺り、西都市の街外れに鎮座しております。

御祭神 級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長津姫命(しなつひめのみこと)

由緒
往古より沼口、長友、村田、村井、中沼、長沼、下河辺、小山、大田、大河辺、田原、佐藤の諸氏の氏神として崇敬されてきた。社伝によれば、はじめ沼口、長友氏等の祖先で俵藤太という者、天慶三年(940)軍功により奥羽の鎮守府将軍に任ぜられ、その子孫奥羽の間に繁栄し、羽黒神社をもってその産土神とした。
のち、その子孫九州移封となり、長友左京享行安に至って、建武二年(1335)の軍功により、日向国海江田・平郡・下富田・浮田大塚別府を領し、児湯郡岡富村有峰の城主となった。ここにおいて奥州在住の当時より産土神として尊崇した羽黒神社を上穂北村河原崎に分遷奉祀し、毎年九月九日をもって祭日と定め、神殿改築、祭典料米等寄進された。その後一ツ瀬川の氾濫により、社殿を右松に遷座奉斎したと伝える。天正年間伊東氏のために攻亡され、以後地区の私祭神となった。
所蔵の棟札によれば、寛永十六年(1639)、正徳元年(1711)九月、宝暦八年(1758)十一月に再興され、その後もたびたび造営改築が行われている。
宮崎県神道青年会公式サイト より

一の鳥居

神額

神社入口

二の鳥居

境内

拝殿

拝殿内部

拝殿奥にお住まいの神殿狛犬

本殿


末社

御神木