小戸神社

宮崎市鶴島3-93(平成21年1月8日)

東経131度24分40.51秒、北緯31度54分36.86秒に鎮座。

この神社は、宮崎市の中心を流れる大淀川。そこに架かる宮崎大橋と下流の天満橋の真中辺りの東側に鎮座しております。正月の為でしょうか、隣の児童公園が臨時駐車場となっていました。三が日は初詣客で賑ったことと思われます。

御祭神:伊弉諾大神
由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約1900年前の景行天皇の勅により創建と伝わる。
都於郡城主、伊藤祐堯が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。
また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄天正年間の相次ぐ戦乱により宝物、旧記等を失い、さらに寛文ニ年(1662)西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合い「小戸の瀬」は小戸神社御創建の清浄地として祀られ、
港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
と今なお夏越歌に脈々と歌い継がれている。
寛文三年(1663)に現在の上野町に遷座する。その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け社殿が再興されている。
明治維新後に「小戸神社」と改称。昭和九年(1934)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現在地へ遷座し現在に至る。
実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎の県内はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。
境内由緒書より。全文はこちら。

参道入り口

神門

拝殿

拝殿前の狛犬

(昭和57年(1982)2月吉日建立)

拝殿内部

本殿

恵毘須神社 稲荷神社

境内の石碑や末社