巨田(こた)神社

宮崎市佐土原町上田島10732-1(平成21年1月7日)

東経131度24分23.13秒、北緯32度3分16秒に鎮座。

 この神社は東九州自動車道高架から324号線を東に300m程行くと「国指定 重要文化財 巨田神社」と書かれた大きな看板が立っているのでそこを右折すると、約600mで右側に鎮座しています。
 社頭右側には大きな楠が聳え、美しい鎮守の杜が形成されています。境内も伸びやかで静か、落ち着いた佇まいを見せ、拝殿奥の国重要文化財指定・本殿、県有形文化財指定・若宮社、今宮社の三社殿が並び立つ様は感動もので、それを塀や境界を設けずに惜しげもなく間近で見せてくれるのにも感動!!。
 境内には景行天皇御腰掛の石や大将軍神社等が点在し、入口には「巨田神楽」、「巨田神社本殿と棟札22枚」、「巨田池の鴨網猟」の説明板があります。

 御祭神:天太玉命、誉田別命(応神天皇)、神功皇后
 祭礼日:秋期例祭・11月15日前後(巨田神楽)
 境内社:若宮社、今宮社、大将軍神社
 由緒:大分県の宇佐神宮の荘園である田島荘が設けられたのにともない、その鎮守である巨田八幡宮として寛治7年(1093)に宇佐神宮から分霊されました。また、古田宮とも記されています。
 中世には伊東氏の支配下にあり、またこの頃に巨田八幡宮の供僧と蓮光寺院主を兼任した例が見られる事から、蓮光寺は巨田八幡宮の別当寺だったと考えられています。天正6年(1578)に日向国が島津氏の領土となってからは、島津家久が法華経一部を奉納するなど島津氏の信仰を集めました。
 文安5年11月8日(1448年12月13日)に本殿が建立され、その際の棟札には、大檀那として領主・藤原祐賀(伊東祐尭の弟)の名が記されています。その後、永正5年(1508)を初め、文禄5年(1596)に島津豊久、慶長18年(1613)に佐土原藩主・島津忠興によってそれぞれ修造が行なわれています。貞享3年(1686)に摂社今宮社、享保12年(1727)に摂社若宮社が本殿の左右に建立されました。
 秋の例祭の時に「巨田神楽」が舞われますが、その中の綱荒神の舞で登場して両断される藁製の大蛇は、水田に施せば稲がよく成長し、家畜に与えると無病息災になるとされます。なお巨田神楽は太平洋戦争中より舞手が減少し存亡の危機に瀕していましたが、昭和46年(1971)に地元有志により巨田神楽保存会が結成され存続しています。
 又、近接する巨田大池では、佐土原藩士が鍛錬のために鴨狩を行なっていました。かつては朝夕の巣の出入りを狙って30の猟場が作られていましたが、この伝統猟は昭和初期に一時休止。昭和34年(1959)に保存会を結成して再開され、夕方に飛立つ鴨を待ち伏せて鴨網で捕る方法で、現在もこの猟法が行われている地域は種子島や石川県など数少ないという事です。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
入口の明神鳥居
参道・境内の様子
拝殿
国重要文化財指定・本殿
板葺きで木部には朱が塗られ、南九州には数少ない室町時代の神社建築様式の遺構で、修理時期を記載した22枚の棟札が国の重要文化財に指定されています。現在の本殿は天文19年(1550)の建立といわれ、歴史的、文化的にも貴重な建造物として国の重要文化財として指定されています。昭和56年に根本的な修理が行なわれ、その際元禄8年(1695)の大修理のときの本殿に復元されました。
本殿左「若宮社」
一間流見世棚造で、県有形文化財指定
本殿右「今宮社」
一間流見世棚造で、県有形文化財指定
若宮社・本殿・今宮社 全景
境内社:大将軍神社 末社
境内右側の「景行天皇御腰掛の石」
本殿屋根上にある鬼面 神社前の佐土原町観光民芸館
壁に取り付けられた巨田神楽面