宮崎市熊野(平成21年1月5日)
東経131度26分4.45秒、北緯31度49分26.9秒に鎮座。
この神社は、日南線・木花駅の南西600m程の辺り、小高い丘の上に鎮座しております。木花佐久夜姫ゆかりの地で地名も木花佐久夜姫に由来すると言われています。日向國那珂郡木花(きばな)江戸時代法満寺境内の木花開耶姫を祀った社を、明治になって木花神社としたようです。
参道入り口
一の鳥居と参道
江戸時代は権現様と言われ海を見下ろすこの地に鎮座していたようです。拡大写真はこちら。
境内入り口と二の鳥居
境内入り口の狛犬。なかなか可愛い顔をしています。拡大写真はこちら。
(昭和10年(1935)5月建立)
境内。左より木花神社、稲荷大明神、大将軍社
拝殿
拝殿内部と本殿覆い屋
稲荷大明神 | 大将軍社 |
大将軍社内部
今は廃寺となっている法満寺跡入り口。奥に見えるのが阿弥陀堂。
市指定文化財 木造阿弥陀如来立像 明治五年廃仏毀釈により廃寺となった法満寺ですが、最盛期には寺領三十石を有する大伽藍であったようです。 |
境内隅の石仏
霊泉桜川
木花神社の御祭神木花佐久夜姫が三皇子を出産された時産湯に使ったとされる伝えがある霊泉である。
藩政時代は飫肥藩主伊藤氏が木花神社参拝の折は必ず愛飲し、地元住民もまた飲料水として保存して来たが近年湧泉量減少したのは惜しいことである。
昔この泉のほとりに貧しい夫婦ものがいた。その桜木(子ども)はそれを見かね自ら人買に身を売り金を家に残して人買に連れ去られた。母はそれを嘆き悲しみ我が子を探し求めて旅に出、3年後の後、常陸の国桜川で今は僧になった桜子にめぐり合い母子ともにこの地に帰り幸福に暮らしたという。
桜子は木花佐久夜姫命に祈願して授かった申し子であったのでご神霊の加護によって我子を探し当てたのであると伝えている。
この伝説は謡曲「桜川」となりこの地に語り伝えられ世に知られている。
平成5年月木花区会