東上那珂神社

宮崎市佐土原町東上那珂13945(平成21年1月7日)

東経131度26分0.48秒、北緯32度1分18.84秒に鎮座。

 この神社は那珂小学校の南東約600mに鎮座しています。入口に社号標はなく、坂道の参道少し奥に明神鳥居が建っていますが、道路からは少し見にくいので注意が必要です。参道は小型車なら境内まで入れるくらいの道幅で、周囲を取り囲むように聳える鎮守の杜が有りますが、境内に入ってしまうと明るく開けた平坦地となっています。社殿は境内右側に寄せられてこぢんまりと建立されており、広い境内は祭礼時に必要なのかしら?と考えてしまいました。

 御祭神:鎌倉権五郎景政
 由緒:創立等は詳しくは分かりませんが、昔は下村地区にあり現在地に遷座されたと伝えられています。 珍しい御祭神で地元では「五郎様と呼び親しまれているようです。 権五郎は武神御霊大明神として祭られ、武運長久の神様として藩政時代は厚い崇拝を受けていました。(「那珂小学校区地域づくり協議会HP」より)

 御祭神の鎌倉景政は、平安時代後期の関東平氏の一族であり、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏とともに鎌倉武士団を率い、現在の湘南地方一帯の地方開発に従事しました。景政はまた、その武勇をもっても知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083-1087)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られています。
 『奥州後三年記』の伝えるところによれば、景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還し、左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したと言います。
 この様な伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされ、また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされています。(『本朝神社考』)
 因みに「鎌倉権五郎景政」を御祭神とする神社は
  御霊神社:(権五郎神社) 鎌倉市鎌倉市坂ノ下
  御霊神社:大阪市中央区淡路町
  五郎神社:群馬県伊勢崎市太田町
等があります。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

219号線から見える明神鳥居
130m程続く参道の様子
境内入口 社殿前の石段参道
拝殿
本殿
明るく広々とした境内の様子