護国神社

宮崎市神宮2-4-3(平成21年1月7日)

東経131度25分26.07秒、北緯31度55分58.05秒に鎮座。

 この神社は宮崎神宮の西側に隣接して鎮座しています。この社の参拝時間は未だ早朝にもかかわらずしっかりとお掃除をされている方がいらっしゃいました。何処の護国神社でも感じるのですが、この社も整然と整備清掃されています。又、社務所に架かる二本の注連縄、はじめは「注連縄が余っているから二本掛けたんではないの?」等と不遜なことを考えましたが、この後も数社この様な飾り方をしている社を見かけたので、宮崎ではこの様な注連縄の掛け方も有るのかもしれません。

 御祭神:国家公共に尽くした人の神霊
 例祭日:例大祭・4月10日、みたま祭・8月14・15日、命日祭・毎日御前10時
 由緒: 全国各道府県の護国神社は殆ど明治維新の当時に招魂社として創建され戦前より慰霊の祭儀が行われていました。 けれど宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であった等の事情もあって、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行ってきましたが、昭和18年4月23日内務大臣の許可を得て宮崎市下北方の高台に鎮座地を定め建設工事に着手しました。
 その建設途上、昭和20年8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下におかれるとともに建設を放棄するのを余儀なくされました。
 その後、講和条約の発効をみるに至り護国神社再建の要望が起こり、昭和28年4月宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり神社の再建に着手し、昭和30年3月竣工同日鎮座祭を斎行し今日に至ります。

社頭
社号標 参道入口の一の鳥居
参道と境内入口
境内入口の二の鳥居 鳥居左に置かれた御神馬
境内の様子
拝殿
本殿
慰霊之碑・馬魂碑 鎮魂碑
慰霊之碑 社務所に架かる二本の注連縄