高屋神社

宮崎市村角町1975 (平成26年2月9日)

この神社は、JR日豊本線・蓮ヶ池駅の南西1km程の辺り、村角町の街中に鎮座しております。しかし、街中とは思えない程緑豊かな、落ち着いた雰囲気の神社となっています。緑の保全地区指定も納得です。

御祭神 彦火々出見命・景行天皇・豊玉姫命

由緒
神社に関する縁起、並びに棟木等によれば、人皇107代後陽成天皇の御宇慶長16年(1611)に社殿の改造の棟木あり、又神官の系図により仁明天皇の嘉祥2年(849)に神官となりし事記載あり、このことによって、その由緒が伺える。
更に神社の西方に小高き處あり。彦火々出見命の山陵と言伝う。即ち日本記に言う日向の高屋の山稜に葬るとあるは、即ち是なり。鵜戸山寺建立並びに再興年代録に景行天皇筑紫に座すこと四ヵ年日向宮崎郡村角と言う處、天皇仮皇居地の霊山なり。高屋と言う神武天皇社(現在の宮崎神宮)に近し。日向五郎八院旧元集に景行天皇がこの高屋の宮を定めて、功臣武内宿称をして、彦火々出見命の山陵を定めて鎮祭し高屋八幡宮と言う記録がある。
右御陵より約50m北方に母場御前という處あり、そこは火々出見命御降誕の時、竹刀で臍の緒を切った後その竹刀を投ぜ給ひし処で、中古迄は其の辺りに孟宗竹ありしも、今は絶えてなく明治8年12月開墾して、村役詰所の家屋を新築せり。
北西の約100m隔てて、宇安尊と言う処あり、火々出見命御降誕あらせ給いし所と言い伝う。東の方50m程隔てて胞之尊と言う處あり、火々出見命の御胞を納め奉りし処と言い伝え、今は宅地となりしが其の庭中に高屋神社祭典の節は御奉納所と申し奉りて奉幣する処有、
また、天神川、御手洗川という川あり、天神川は火々出見命に献る御飯を炊ひし所と言い伝え、今は宅地となりしが其の庭中に高屋神社祭典の節は、御奉納所と申し奉幣する處あり。
又天神川、御手洗川と言う川あり。天神川は火々出見命に献る御飯を炊きし處と言い伝えて、村民此の川上の水口にて手足を洗うことなし。御手洗川は天神川の下流で同命御降誕の時、鹿葺津比賣命が臍の緒を切って御手を洗い給いし処と言い伝う。
右の外に中尊、橘尊、京尊、高尊、ウ尊、クモ尊、正政所、助政所などと稱する所がある。祭典の日 神輿東方松林の内に行幸し給う行宮所あり。
此の所は仮の皇居と言い、又、当宮を西方へ600mの處に犬ヶ城と言う處あり、狗人の住み給う處なり、即ち火酢芹命の旧地と言い伝えられる。
境内由緒書き より

参道入口

参道

鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿


若宮神社

若宮神社護る狛犬

石仏