中野神社

宮崎市清武町木原525 (平成26年2月7日)

東経131度23分51.80秒、北緯31度51分19.50秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・清武駅の東600m程の辺り、宮崎学園短大の東隣に鎮座しております。

御祭神 誉田別名(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依姫命(神武天皇の御母君)

御由緒および沿革
当神社の御創建は第53代淳和天皇の御代、今より約1200前、勅宣があり「新羅降伏により一国に一社八幡宮を創建する」との詔により天長元年(824)当地に鎮座されました。特に日向、大隅、薩摩は外国に隣接しているため、一郡に一社を勧請し「中野八幡宮」となったものであります。その後都於郡城5代目城主伊藤大和守祐尭公は文明17年(1485)島津家と争奪中の飫肥城に出馬の際、清武城にて逝去されたので当神社に霊を配祀しました。以来、飫肥藩の尊崇厚く社殿祭具に藩主家紋の使用を許し又、社領として年16石、神職家に年23石を給せられ、例祭を始め春・秋の大祭に清武の地頭をして代拝せしめ国家安康を祈念しています。
社殿は、創建以来数度の改修があり近年では明治10年(1877)の西南の役で戦火のため焼失、翌11年復興し、現在の社殿は、昭和15年(1940)12月起工同17年4月復元されております。
境内由緒書 より

参道入口

参道

鳥居

神額

参道。左手は宮崎学園短大。蛇行する清武川に囲まれた高台のこの地は、かつて砦のような規模であったのかも知れません。故に西南の役の攻防戦の舞台になったのでしょう。

境内入口

境内入口の唐獅子。拡大写真はこちら。
(昭和13年(1938)5月9日建立)

手水舎

境内

拝殿

拝殿内部

本殿


御神木