加納神社

宮崎市清武町加納乙253 (平成26年2月7日)

この神社は、JR日豊本線・加納駅の北500m程の辺り、宮崎市から4km程のこの辺りは郊外のベッドタウンと言った所でしょうか。新興住宅地の一角に鎮座しております。

御祭神 大日孁貴尊・正哉吾勝勝速日・天忍穂耳尊・天津彦彦火瓊々杵尊・伊藤祐堯公

由緒沿革
加納地区にて毎年虫害を被ったので虫除の神社を建立しようとして当社を建てたところ、翌年から虫がつかず、豊年が続いたので、福の八幡と言ったという話が伝えられているが、三宅村(西都市)の福野八幡宮(三宅神社)を勧請したものと思われる。創建年代不詳なるも明暦2年(1656)9月福の八幡宮再興とあるので、それ以前の創建と思われる。当社は福の八幡宮と称したが、明治維新の再加納神社と改称し村社に列せられる。藩主伊藤家の崇敬厚く、参勤交代の際は領地最後の社として参拝され、海陸途中の武運長久を祈願した。その時境内東側に休憩所を設けお茶を供じた。今も其の所を茶屋場と称している。帰国の際も参拝され、無事帰国の報告をしその都度清武の藩士は此の処にて奉送迎をしたという。昭和10年(1935)7月2日告示第353号をもって神饌幣帛料の指定を受く。なお明治10年(1877)7月西南の役にて社殿を破壊され古文書等盗まれたとある。
境内由緒書き より

神社入口

拝殿

本殿


御神木

石仏。庚申供養とあり、普通は青面金剛像なのだが。