加護神社

宮崎市郡司分2225 (平成26年2月7日)

東経131度26分10.22秒、北緯31度51分15.05秒に鎮座。

この神社は、JR日南線・南方駅の南300m程の辺り、国富小学校の北東すぐに鎮座しております。駅は無人なのですが、周辺は新興住宅地となっており、宮崎のベッドタウンとなっているようです。

御祭神 応神天皇(おうじんてんのう)・益武大明神・賢武大明神・勝武大明神・伊東祐邑公(いとうすけむらこう)・伊東義益公(いとうよしますこう)・伊東義賢公(いとうよしたかこう)・伊東祐勝公(いとうすけかつこう)

由緒沿革
当社は加護八幡宮と称し応神天皇、伊藤家四代の霊を祀る。伊東祐邑は伊東祐堯の双子で祐国の弟である。日知屋城にいたが文明18年(1486)丙午兄弟不和により国人に殺されてしまう。祐邑の霊魂が祟りをなすので享禄4年(1531)12月13日都於郡一条院において祐邑を祀り八幡大菩薩と崇めていたが、なお祟りが止まらなかった。そこで文政5年(1822)国富荘本郷に移し神社を創建、郡司分42町を寄進して社領とし禁延に奏して加護八幡の勅号を戴いてその霊を慰めたと伝える。明治維新後加護神社と改称し村社に列格明治39年(1906)神饌幣帛料供進の指定を受け氏子の尊崇をあつめていた。ところが昭和63年(1988)1月失火により社殿を焼失した。ただちに神社再建造営の決議がなされ1年有余にわたり地区内地区外特別寄進者の賛助金を得ることができ平成元年(1989)5月吉日に着工し平成元年11月吉日に新社殿の竣工に到る。
境内由緒書きはこちら。

神社入口

神額

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和9年(1934)11月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


石碑等

郷土の名木楠