一葉稲荷(ひとつばいなり)神社

宮崎市新別府町1402 (平成26年2月7日)

東経131度27分44.47秒、北緯31度55分11.13秒に鎮座。

この神社は、宮崎駅の東北東3km程の辺り、海辺に近い一ッ葉公園のすぐ西側に鎮座しております。

御祭神 倉稻魂命(うがのみたまのみこと)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・塩土老翁命(しおづちのおのみこと)・大国主命(おおくにぬしのみこと)

由緒沿革
当社は人代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第12代景行天皇の勅によって創建されたと伝えられている。
紀元740年代、(約1900年前)。
後世、寿永年間(1182−84)に当地に移転遷座した。この頃より境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをなし、大に崇敬の念を加え、これに於いて、彼の井弉諾尊禊祓の聖地なるをもって、蓋し、其住吉の神、神威を顕はし給いしものなりと信じ、この頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せり。
往昔より武門豪族の崇敬厚く、殊に寿永年間(1182〜1184)一葉の松生じてより、一般の崇敬激増し、元禄2年(1689)、旧延岡城主有馬左衛門尉永純より、御供田高弐石、同11年に幕府は勘定奉行今井九郎右衛門をして御供田高弐石、各寄進、遂に累代崇敬の社となれり。
明治維新に至り厳然たる社格を治定せられその後、明治39年4月28日神饌幣帛供進の社と指定奉祭せらるるに至り、現在崇敬者、県下一円、隣県大分、鹿児島、福岡、四国、京阪神地方に及びその御神徳は普く世人の周知せるところなり。
境内由緒書き より

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神社遠景

参道入口

参道

境内

拝殿

拝殿内部

随身様

本殿


えびす神社

銭洗神社

御神木の松

当社名称の由来となった一葉の松葉

津波から人々を救った白兎

御神馬