広瀬神社

宮崎市佐土原町下田島20292-1 (平成26年2月9日)

東経131度28分35.83秒、北緯32度00分40.62秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・佐土原駅の南1km程の辺り、広瀬小学校の隣に鎮座しております。

御祭神 事代主之神・大国主命・稲田姫命・健御名方之神・品蛇別命・蛭子大神・火産霊神・宇迦之美玉神・素盞嗚命・島津忠将之神霊

由緒
当社は明治維新に当たり、藩政庁が佐土原から広瀬に移転するに際し、佐土原にあった諏訪、大安、稲荷の3社を合祀し、明治5年9月16日現在地に移転し、郷社広瀬神社となる。その後、明治40年広瀬にあった広瀬、八坂の両社を合祀、また昭和17年千代稲荷神社を合祀した。諏訪、大安、稲荷神社の由緒は次のとおりである。
[諏訪神社]
天文19年(1550)6月20日、島津忠将の長子以久が生まれた。此の日未明、何処からか1旒の旗が舞い来って、産所の棟上に懸った。忠将異んで侍従池田備後に見せたところ、忠将の常に崇拝する諏訪神社の神旗であることが判った。忠将はこの吉瑞を悦び、その旗を神体として備後に祀らせ、その弟が祠官となった。慶長8年(1603)、以久が佐土原に封ぜらるるや―旧佐土原藩の藩祖―諏訪神社を勧請して下馬場に祀り、のち承応2年(1653)諏訪の馬場に遷した。
[大安神社]
ある時以久の夢に父忠将が現れ、「われを崇めて天下大明神と称すべし」と告げた。そこで以久は永禄8年(1565)社を建てて父の霊を祀り、社名を大安神社と称した。
[稲荷神社]
島津氏の祖、忠久以来島津家の尊信したもので、初め社は佐土原城内にあったもので、城頭稲荷とも称していた。
宮崎県神道青年会公式サイト より

参道入口と鳥居

境内

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋