愛宕神社

宮崎市佐土原町上田島789 (平成26年2月9日)

東経131度26分03.50秒、北緯32度02分28.36秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・佐土原駅の北西5km程の辺り、上田島の街外れの山頂に鎮座しております。

御祭神 火之加具土神(ほのかぐつちのかみ)・天之児屋根命(あめのこやねのみこと)

由緒
往時愛宕大権現と称し、人皇第四十四代元正天皇養老二年(718)正月二十四日奉斎すると伝える。中世愛宕将軍地蔵と呼んで武人の信仰が篤く、また高神火の神として火難を除かせ給うと、ご神徳を受けつがれている。
慶長八年(1603)十月十八日島津以久幕命により、佐土原城の領主となる。愛宕大権現を佐土原藩の祈願七社として、社領十石を献ずる。
第二代島津忠興は、寛永年間に社殿を改修、金燈籠を奉納。その後も領主度々社殿を造営し、藩主の直参或は代参金帛を献げるを例とした。
元禄十三年(1700)三月島津惟久は、祈願成就の石燈籠一基を奉納、今もご社殿の前に現存している。
明治四年廃藩とともに、佐土原村字佐土原町を以て氏子にした。
明治六年五月二十五日県社に列格。特殊神事として「けんかだんじり」がある。
当社の夏祭りの山車、だんじりの呼び名で有名である。祭りは旧暦六月二十三・二十四日(現在は七月二十四日に近い土・日曜)この日の町内は青と赤に二分され、それぞれだんじりを担う若者と囃子太鼓を打つ子供の組が編成される。だんじりは祭り最終日に壊し合う「けんかだんじり」の伝統がある。
明治二年末、佐土原藩の広瀬転城によって士族が町から姿を消し、昔からの町人町は商人主導の街として発展、その手で守り育ててきた氏神祭り、けんかはその意気の高揚、参加は若者が成人になる人生儀礼でもある。
宮崎県神道青年会公式サイト より

愛宕神社の創建は古く養老2年(718)正月24日に丹波の国(京都)桑田郡鎮座愛宕神社の分霊を祀ったと伝えられています。愛宕さまは火の神様で、燃えやすい木造家屋に住む私達を火の災から守って下さる大切な神様です。 夏祭りは御輿が町を巡幸し、勇壮なダンジリの喧嘩は特に有名です。秋の穫り入れに感謝する祭りと火の祭りには神楽が奉納され参拝者も多く今でも町の花です。 仏教は、7世紀に我国に伝来以降、朝廷や幕府の庇護のもとに1100年余りの間隆盛を極めました。十輪寺は仏教隆盛時に、僧侶が神社の神官を兼ねて、お祭りする神仏習合という、神仏一体の姿の真言宗別当時として愛宕神社に並立して創建されました。 明治に始まった廃仏運動で神社だけ残り、十輪寺は愛宕神社の長い階段を登ったすぐ右側の林の中に寺跡が残っています。
境内由緒書き より

参道入口と一の鳥居。二の鳥居までは180m程。

参道

二の鳥居

前之宮

参道

拝殿

拝殿前の構え狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和9年(1934)10月吉日建立)

拝殿内部

本殿