御池神社

都城市夏尾町(平成21年1月6日)

東経130度58分13.40秒、北緯31度52分21.80秒に鎮座。

 この神社は御池南で223号線と45号線がぶつかる交差点のすぐ東、223号線に入口がありますが、参道や鳥居が道路より低くやや奥まって建っているので見つけにくいかと思われます。私達も一旦は素通りし、地図で再確認してから引き返し、徒歩で探してやっと入口を見つけました。
 鳥居のある入口から暫く参道は坂道の下りとなり、途中左に聳えるご神木と祭祀場を見たら、すぐに御池神社の案内板が地面に置かれていますが、矢印の方向には道がありません。まさか藪こぎをしての参拝はあり得ないと思い、案内を無視して尚も正面に続く坂道を下ると自然石の石段が延々と続くようになり、「本当にこの道で良いの…?」 と不安になる頃、遠くに社殿が見えてきます。入口からここまで約400m位でしょうか、さほど道のりは長くはないので帰りは思ったより楽でしたが、行きは高低差があり、案内の矢印を無視してきたので不安な気持ちから随分永く歩いたように感じました。
 境内入口には珍しい六面地蔵が建立され、社殿も綺麗に整備されたきちんと守られている神社でした。社殿右脇を尚も100m程進みやっと御池に辿り着くと、霧島の火口湖の中で最も大きい御池は、満々と水を湛え、周囲の火口壁を水面に映し、得も言われぬ感動を私達に与えながら、静かにその神秘的な姿を見せてくれました。今までの不安な気持ちは一掃され、私達はただただ暫くは湖面を眺めておりました。

 この社に案内は無く、御祭神・勧請年月・縁起・沿革等は全て不明ですが、「荘内商工会」のサイトにこの社の紹介がありました。
 『御地神社は小さい神社で、夏尾町の御地湖畔にあります。
 境内には都城では数少ない立派な「寛文七丁未十月吉日(1667)」と刻まれた、今より約320年前の六面地蔵があります。
 この地蔵はもと霧島東神社のもっと上の高千穂の中腹にあったと、言い伝えられています。地蔵の横に明治四十五年八月八日に建立された御池神社の記念碑があります。大昔より空高く、噴煙を吹き上げる、霧島山は麓や、周辺に住む人々にとっては、まさに神でありました。
 この神の怒りを鎮め、又神の恵みを乞うために参詣を続けたと思われます。雨水は農業を営む上に絶対必要であり又耕作に欠かせない牛馬の安全の為に、そして家中の無病息災や安産の為に祈願は盛んだったと思われております。
 御高丘(オタコ高千穂頂上)参りをするときは、まず、ガンミョウ寺で白装束に着替え霧島どんや早馬どんにお参りの挨拶をして御池神社に参拝し高千穂に登ったと云われ高千穂の頂上に着くと新しい草履に履き替えて矛の周りを踏み締めながら祈願したそうです。(西岳風土記より)』(荘内商工会HPより

223号線沿いにある参道入口 入口案内板
入口石段下に建つ明神鳥居 下りの参道
参道左に聳えるご神木と祭祀場
参道を約四分の一程降ったところに置かれた神社案内板
矢印は左向きになっていますが、実際はこれからも正面方向に向かってどんどん降っていきます。
参道の様子 左下の谷川風景
「本当にこの道で良いの…?」 と不安になる頃、遠くに社殿が見えてきます。
境内入口に建つ六面地蔵
寛文七丁未十月吉日(1667)建立
境内全景
社殿
社殿に架かる額 社殿内の様子
社殿右脇を尚も進むと… 出ました!! 御池です。
御池全景