都農牧神社

児湯郡都農町川北14674(平成21年1月7日)

東経131度33分45.39秒、北緯32度16分9.48秒に鎮座。

 この神社は都農小学校の北北西約1kmに鎮座しています。10号線から神社への向かう道路にはいるとすぐに左の歩道に鳥居が建っています。「昔はこの辺りも神社の社地だったのかしら?随分広い範囲が神社の土地だったのね〜。」などといいながら進むと約500mほどで神社前に到着しました。神社入口には二の神明鳥居が建ち、境内の案内板によると平安時代から江戸時代にかけこの周辺では名馬を産していたそうで、この社の社名も納得がいきました。
 参道を歩き始めると拝殿の遥か後方の岩山の上に小さな祠が見えます。「あれ奥宮かしら?本殿かしら?でも絶対にあそこまでは上れないよね。」等と言いながら参拝を終えると、社殿右側の躑躅の植え込みの中に小径が続いているのが見えました。
 「駄目もと!」と思いながらその小径を進んでいくと道はだんだん険しくなり、最後には軽い岩登り状態になると本殿に到着です。軽い高所恐怖症の夫はとうとう下から見ているだけで上がっては来なかったので、私は一人で心細い思いをしながらの本殿への参拝でしたが、ここから見る景色はまさに「絶景かな、絶景かな!!」心細さも疲れも一気に吹き飛ぶ開放感が味わえました。

 御祭神:天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、牧霊大神
 祭礼日:春祭・4月10日、秋祭・11月19日
 由緒:推古20年(612)宮中の宴で、推古天皇が「馬ならば日向の駒」と詠まれたことが「日本書紀」に記されている。昔から日向の駒の名声は朝廷にも響き、日本一と称えられていたことがわかる。延喜5年(905)醍醐天皇の勅命によって編纂された「延喜式」兵部省に朝廷直営の官牧(馬牧牛牧)として馬牧全国27か所のうち、日向には野波野、堤野、都農野の三か所に設置された。都農野馬牧が岩山牧の前身だと言われている。高鍋藩が岩山牧を設置したのは慶長14年(1609)で、安政4年(1759)廃止になるまで約250年間多くの名馬を産出してきたのである。岩山牧の大行事に、秋に行われた「駒追込み」があり、藩主もたびたび見物に訪れている。「本藩実録」に「岩山牧山犬多に付享保10年(1725)6月12日一社建立」とある。これによると、牧場の守護神として藩主が祀ったのが「都農牧神社」である。
 「同12年5月山犬の被害出、牧神へ初穂」の記事もある。牛馬の神、畜産の神として崇敬されてきた。岩山頂上には、享保16年に奉納された石燈籠がある。

神社の手前約500mほどの歩道上に建てられた一の鳥居
神社入口 二の神明鳥居
参道・境内の様子
社殿全景
三の鳥居と拝殿
拝殿内の様子 拝殿内に架かる
「龍に乗った仏像?」の額
拝殿の背後遥か上の、岩山上に鎮座する本殿
拝殿右側からの本殿への参道
中央に小さく白く見えるのが
享保16年奉納の石燈籠です。
本殿近くは下を見るのが
恐ろしい岩山の崖上です。
本殿正面と側面から
(正面の写真は近くからは撮影不能ですから、境内外から望遠で撮った物です)
本殿内には白馬が置かれています
本殿脇から遙かに見える下界の様子
参道に咲く水仙