平田(へいだ)神社

児湯郡川南町平田1924(平成21年1月7日)

東経131度32分30.45秒、北緯32度11分15.58秒に鎮座。

 この神社は307号線に一の鳥居が建つ入口があり、そこから南に約150mほどで西に参道が曲がると社頭が見えます。境内入口の二の鳥居の社額は珍しく五角形をしています。境内の周囲は生け垣や木々で囲まれ、中央部分は明るく晴々とした感じがし、参道正面に拝殿、奥に一間社流造の本殿が建っています。
 静かで落ち着きがあり、清潔な感じの神社でした。

 御祭神:日本武尊、速玉男神、御年神、事解男神、瓊々杵尊、菊理比売神、菅原道真公
 祭礼日:1月1日・元旦祭、2月25日・祈念祭(春祭)、7月・夏祭、11月15日・七五三祭、11月25日・例祭、11月26・27日・神幸祭、12月31日・大祭・焼納祭・除夜祭
 由緒:創建年代は不詳ですが、古老の口碑によると日本武尊が熊襲征伐の為西下されたとき、幣田川(現平田川)川口の伊倉より船にて川を上がられ、川岸の年の森に船を寄せ、現社地の東南の高台の御山に宮居を定め、暫しこの地に留まられ熊襲征伐の後再び立ち寄られました。後の仁徳天皇の御宇(西暦300年代)人々は尊の高徳を慕い、宮居の地に向かって現社地に神殿を建立し、尊を祭神として創始したと伝わります。
 以前は由緒記・古文書等がありましたが、天正年間(1573〜1592)大友宗麟がこの地に乱入した際兵火に遭い、神殿及び古文書等は焼失しました。棟札に文禄3年(1594)再興したという記録が残っています。
 高鍋藩主・秋月公により社殿の修理や祭器などの寄進もありました。
 明治4年郷社に列せられ、明治43年末社・熊野神社、菅原神社、霧島神社の4社を合祀しました。

307号線上に建つ案内板 307号線上に建つ一の明神鳥居
参道の様子
社頭
境内入口に建つ二の明神鳥居 二の鳥居の社額
珍しく五角形をしています。
境内の様子
拝殿
拝殿内の様子
一間社流造の本殿
本殿の木鼻・狛犬
末社 拝殿前から入口を振り返る
ご神木