湯之宮神社

児湯郡新富町新田18633-2 (平成26年2月9日)

東経131度27分24.28秒、北緯32度05分36.46秒に鎮座。

この神社は、航空自衛隊・新田原基地の北1.5km程の辺り、309号線を挟んで、湯之宮座論梅の対面に鎮座しております。入口駐車場に多数の車が止めてあり、珍しいと思いながら境内に入っても誰もおらず、参拝を終えて外に出て納得。皆、湯之宮座論梅の観光客の車でした。

御祭神 猿田彦命

由緒
湯ノ宮は、神武天皇ご東遷の際湯浴みの地として顕彰されている。神社の南西に神井があり、往古は湯を湧出せりと伝えるが、現在は真清水をなり四時絶える事はない。周囲に玉垣を廻し聖蹟として保存されている。この神井は神武天皇ご東遷の際沐浴をされた湯槽の跡と称し、その側に神社を建て湯之宮権現と称したという。
ご祭神が天孫降臨の際ご先駆の神として功績があったことは「記紀」に明記されている通りである。のち大神は伊勢の狭長田の五十鈴川に鎮坐し、荒神を払い退け皇孫命を斎奉る。
土地の人々は導の神、五穀の神と称え奉りその功を仰ぎ奉った。明治四年湯之宮神社と改称。現在の社殿は昭和十五年紀元二千六百年記念事業として時の宮崎県知事相川勝六氏のもとに改築されたものである。
なお隣接地に県下第一を誇る天然記念物である座論梅がある。
宮崎神宮公式サイト より

参道入口

参道

手水舎

拝殿

本殿


伝説、神武天皇御浴湯跡

御神木


湯之宮座論梅

湯の宮座論梅は、湯之宮「神武天皇御東征の際この地においてお湯を召されご休憩の後、梅の枝を突き立てたままお発ちになりその後これが芽を吹き元木となり成長して今日に至ったもの」と伝えられている。 座論梅という名の起こりは「ザロミ」という梅の種類から名付けられたとも、また、徳川時代に佐土原、高鍋両藩の間に梅林の所有争いが起こり、両藩士がこの地で出会い座して論議したので座論梅となったものと伝えられる。
この座論梅は、元は1株であったものが横に伸び地について新しい株となり次々と繁殖して、現在80株になったものである。樹齢は600年とも言われている。
湯の宮の座論梅は、宮崎市高岡町の月知梅と並び、宮崎県の梅の名所として古くから知られている。また、鹿児島県の「藤川天神の臥龍梅」を加え、三州三梅の一つと言われる。

ウメを「町の木」としている新富町では、座論梅を町おこしに使っており、開花のシーズンにあわせ「座論梅梅まつり」を行っている。そのほか、近隣施設であるゴルフ場「宮崎座論梅ゴルフクラブ」も「座論梅」をつけて名乗っている。
さらに、同町に所在する航空自衛隊・新田原基地に駐屯する第305飛行隊の部隊マークが「梅」であることから、部隊ワッペンなどに「座論梅」の文字を刺繍している。