白鬚神社

児湯郡川南町川南1987 (平成26年2月8日)

東経131度28分21.08秒、北緯32度11分33.09秒に鎮座。

この神社は、木城町役場の西2km程の辺り、木城町椎木の街中に鎮座しております。

御祭神 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

御由緒
宮崎県の中央より少しく北、霊峰尾鈴山を背に遥か日向灘を一望に収める風光明媚の地、白鬚権現山に鎮座し、天長二年(825)第五十三代淳和天皇の御代の創建と社伝に記す。旧社格を「竜宮伝説」によって白鬚大明神と号し、日向の国の地主神である。明治四年十一月郷社に列せらる。明治六年、社名を多賀神社と改称した。現在の社殿は天保九戊戌年三月十九日(1839)時の高鍋城九代藩主秋月種任公・十代種殷の寄進により再興され、その後五回営繕されている。当社は家内安全・延命長寿・災難厄除・安産・交通安全・牛馬の守護神として往時より秋月藩累代藩主・並びに庶民の尊崇頗る厚く、藩主よりは特に神領四石五斗及祭典料米並びに祭器、社殿造営等一切を寄進せられ、又神社を中心に畑地の寄進があった。明治初年廃藩の際之を失う。
昭和六年白鬚神社と改称した。昭和五十年七月、ご社殿などの大修理を行い、同五十八年東、西参道の大鳥居各一基、境内社に六基の鳥居を建立、大玉垣も新設して境内が整備された。
標高百bの小高き場所に鎮座する当社の前面には泉水谷より清水が滾滾と流れ「うどん川」という。境内には数百年を経た老楠、老杉、梛が鬱蒼と生い繁り、昼なお暗い森の中の奥之宮と称する祠に、「浦島大神」を祀り、荒神祠には迦具土神を鎮祭する。
当社の西、二百bの所に御池川が流れ、連続して三つの滝が在り、一の滝の側下に「修業の岩屋」が現存して龍神を祀る。其処より川上約二qの所に龍ヶ脇の滝、高さが約百bが在り、奇しくもその上部の極めて寂寥感漂うところに深淵な滝壺が存在し、古代より主神(大蛇)が棲み居ると伝えられる。農業之神、子供の守護神として特殊の信仰がある。
宮崎県神道青年会公式サイト より

境内由緒書きはこちら。

境内の南東2km程、多賀小学校近くに立つ一の鳥居。

二の鳥居

境内入口に立つ三の鳥居

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和19年(1944)7月19日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


恵比須社
大国社

荒神社

水神社

稲成社 山神社

畜鎮魂社

御神木

絵馬