八幡・智古神社

日向市富高5895 (平成26年2月8日)

東経131度36分49.04秒、北緯32度25分45.62秒に鎮座。

この神社は、JR日豊本線・日向市駅の西北西1.5km程の辺り、富高の町中に鎮座しております。

八幡神社御祭神 足仲彦命・息長足姫命・誉田別命
智古神社御祭神 大国主命・少彦名神・建御名方神

八幡神社由緒
創建は元暦年間(1184〜1185)の昔で、工藤祐経と那須与市との勧請によると言う。
元暦年間(1184〜1185)平家の一族が安徳天皇を守護して、豊後国平家山にたてこもった。これを聞いた源義経は早速、工藤祐経、那須与市を征討軍として、日向へ下向させた。2人は幡浦から上陸し、臼杵の庄に到着してこの地に築城した。そして2人は、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請造営し、日々社参して軍評定をした。
その後当社は源氏の国土平定化と共に、造営相継ぎ国家安泰、五穀豊穣の神として信仰をあつめたという。
なお明治になって、祇園神社、和田大将軍社の両社を合祀している。
県北最大の祭りとして知られる当社の十五夜祭りは、旧8月15日に行われる。文治年間(1185〜1190)に始められたが、一時中断し、文政10年(1827)に再興した。祭礼が催されるようになって、豊作が続くようになったという。当日は見立細工や花屋台などの店が並び、近郷近在からの参拝者でにぎわっている。

智古神社由緒
保元2年(1157)、土持氏の一族土持秀綱、富高の姓を名乗ってこの地に来たり。
三河(愛知県)より子どもの守護を勧請、幼児のヒキツケを治療す当社はこのヒキツケを鎮めなさる神さまとして沢山の崇敬者が氏子となっておられ、通称チリ神さんと親しまれています。
出生児から15才まで毎朝延命息災の祈願をいたしており、お子様の御成長をお祈りしております。
境内由緒書き より

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

三の鳥居

境内入口に立つ四の鳥居

拝殿

拝殿内部

神額

本殿


稲荷神社 祖霊社

御神木