福瀬神社

日向市東郷町山陰乙2014 (平成26年2月8日)

東経131度33分18.50秒、北緯32度22分26.42秒に鎮座。

この神社は、美々津港の北西6km程の辺り、耳川の流れに沿って北上する51号線から少し入った東郷町山陰乙の街中に鎮座しております。

御祭神 日本武尊・素戔嗚尊

由緒
当社社宝とする棟木に養老元年(717)の文字が見えたが腐蝕甚だしく判明しない。天文3年(1524)11月代官天氏弘吉が再興して社殿を営んだ。しかしこの社地は洪水毎に流失するので永禄3年(1560)2月現在地に遷座した。創建以来890年余年崎山字に鎮座された。以来400余年を経て今日におよんでいる。その間度々社殿の改築をみたが、就中永禄三年の神社改築に当っては伊藤義益(義祐の嫡男)は武運長久を祈願して神殿一字を奉献建立した。此の神殿は昭和4年(1926)の改築に至る迄390年余年間神殿としてあったもので、現在境内神社八坂神社の神殿として保存され藩主の定紋を止めている。以来大名武人の信仰厚く、天正4年(1576)12月代官天氏弘美上屋を営み、享保5年(1720)11月川越諸左衛門花崗岩鳥居を建立。寛政9年(1797)上屋改築、弘化3年(1846)11月拝殿を延岡内藤能登守政義が寄進し、明治4年(1871)神殿表屋改築を内藤備後守政挙が寄進し、昭和4年(1926)現神殿の改築を以て今日に至る。天正(1573〜1592)の兵乱により社殿が損壊し、宝物を失った。更にその後の文書類も明治10年(1877)の役に福瀬神社地周辺が薩軍の屯所だった為兵火の中心になり散逸してしまった。明治初年頃まで「白鳥大明神」と称したが明治4年(1871)11月他の神社と合祀して現在の社名に改め明治40年(1907)2月神饌幣帛料供進社に指定された。
境内由緒書き より

神社全景

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

境内入口

境内入口、異相の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正6年(1917)5月吉日建立)

残念乍ら社殿は修理中のようです

本殿

本殿縁側の陶器製狛犬。拡大写真はこちら。
(大正14年(1925)8月吉日建立)
仮宮
八坂神社
不明