中山神社

東臼杵郡門川町門川尾末6343 (平成26年2月8日)

東経131度38分09.91秒、北緯32度28分13.03秒に鎮座。

この神社は、門川町役場の西北西2km程の辺り、門川尾末の街外れに鎮座しております。

御祭神 大國主神・少彦名神・大山祇神・軻遇突智神

由緒
当社は天安元年(857)(皇紀1517年)即ち文徳天皇の御代、門川町字分蔵野地引地山に勧請された(宮跡現存)、更に康正2年(1456)(皇紀2116年)1月7日門川城主(狗山城ともいう)米良四郎左衛門裕次時代に城の鬼門除けとして狗山の地に移転、のちに米良氏は県城主として合戦して敗れ門川城は陥落、同時に現在の地中山に移転、現在に至っている。この狗山にも当時の社殿跡を証する礎石等がある。
中山の地に移転して以来中山大明神と号し延岡城主高橋、有馬、土持、内藤の各城主の崇敬が殊の外厚く、有馬氏は社頭に三つ巴紋付御神鏡を一面寄進、その後睦月七日、霜月七日を大祭日と定め祭礼を奉仕、今日に至っているが、現在は睦月七日のみ大祭を行っている。この時代町内の三ヶ瀬、松瀬、庵川、左惣津(加草)の各神社に分祀している。由来庶民の信仰が深く延岡、宮崎、高千穂方面をはじめ県外より参拝者を算し現在でも昔の盛大さをしのぶ、睦月七日には遠近より多数の参拝者を集め山梁な田舎の里を賑やかにしている。
明治4年(1871)には同村鎮座の愛宕明神の軻遇突智神、同じく山神の大山祇神を合祀し村社に列格、昭和13年(1938)葉月幣帛料供進指定神社に昇格、現在に至っているが、延岡藩主内藤氏は度々に社殿の新改築をなし殊に銀500匁及び内藤氏の下り藤使用御免があり、現在下り藤を使用している。・・・・・
境内由緒書き より

参道入口と社号標

一の鳥居

二の鳥居

境内入口と三の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿