津島神社

登米市迫町佐沼西佐沼141 (平成19年7月27日)

東経141度12分01.17秒、北緯38度40分53.21秒に鎮座。

 この神社は迫川右岸、県道1号線に面して鎮座しています。伊達政宗公が佐沼郷の総鎮守として天形山より現在地に遷座したという由緒ある神社で、拝殿・本殿の彫刻が見事で、又、公孫樹など古木のご神木が目立つ、市街地としてはとても鎮守の杜の護られている気持ちの良い神社でした。

 御祭神:素盞鳴命、倉稲魂命、猿田彦命、木花咲耶姫神、崇徳天皇
 例祭日:元旦祭・1月1日、松焚祭(どんと祭)・1月14日、桜花祭・4月下旬、春の互市・4月下旬、例祭・7月23日・24日・25日に近い金曜・土曜・日曜日、七五三・11月15日、秋互市・11月中旬、煤祓式・12月25日、正月飾り頒布式・12月26日〜31日
 境内社:竹駒神社 道祖神
 由緒:本社は元禄6年佐沼大火事で旧記を失った為に勧請年月日を明らかにすることは出来ませんが、「日本地誌提要(にほんちしていよう)」には武烈天皇の御代、あるいは聖武天皇の天平二年の創建にかかるとあります。また、その中には藤原秀衡奉納の経文『金光経全巻』もあったことも神職羽生氏所蔵古文書に記されています。
 現在の津島本宮社(北方天形鎮座)は文治5年(1189年)源頼朝が平泉を征討したあとの戦勝満願のお礼参りの後、葛西壱岐守(かさいいきのかみ)に命じて北方村に勧請したと伝えられています。
 天正19年(1591年)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は士民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。
 秀吉の命を受けた伊達政宗はこれを包囲したのですが、沼川深田の佐沼水域は難攻不落で、万策尽きた政宗は津島本宮に祈願したところ、惣然白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降りたちました。この深沼が浅いと知った政宗は籠城軍を一気に攻め城を落とすことが出来ました。
 慶長19年(1614年)政宗は領主津田民部影康に命じて津島神社を天形山より現在地に遷座し、社殿は佐沼城に向かって北向きに建立し、佐沼郷の総鎮守祇園牛頭天皇と称し奉りました。
 古くより人々から「ごてんのうさん」と親しみを寄せられ、崇め奉られています。
 特に6月祭り(新暦7月)の3日間は、出店や興行小屋が並んで人波が道にあふれ、南部気仙三陸からは漁民大挙して参篭りし、礼詣に玉石を奉納しました。佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で1食1年の疫病除けとして買い帰り、各家の軒下に吊るして悪魔祓いとして神信されました。(「津島神社公式HP」より)

社号標「郷社 津島神社」
神社入口 境内の様子
皇紀2600年、狛犬の団塊世代生まれです
宮城には珍しく福島型狛犬で阿は玉を持ち、吽は子連れです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和15年(1940)5月吉日建立)
拝殿
拝殿の唐破風下の鳳凰
拝殿の二対の木鼻狛犬
上段は内側、下段は外側
本殿
本殿左側妻の有翼の龍と鷹に松
本殿右側妻の鶴と波間の亀
本殿前後の木鼻狛犬
本殿の脇障子
境内社・竹駒神社 道祖神 神輿倉
庚申塔、御崎宮、金剛山、天照皇大神などの石碑
ご神木