多賀城市浮島赤坂1−1(平成19年7月22日)
この神社は東北本線・国府多賀城駅の北300mに鎮座しており、社名に相応しく離れた所からだと、確かに浮島という感じの丘にも見えます。階段途中に山口女王が大伴家持へつかわした歌碑と鳥居が建ち、小さな丘の上が境内となっています。境内、社殿は綺麗に整備され、子供連れの方達が遊びにいらしていました。
御祭神:奥鹽老翁神、奥鹽老女神、配祀:源融
由緒:この社は陸奥国宮城郡の延喜式内社・多賀神社の比定地のひとつとされています。多賀城繁盛の頃の創建と伝え、平安時代の延久6年(1074)塩竈島海社と共に朝廷から深く崇敬され、承保年間(1074〜77)に国守も詣でた歌も残る名社です。以来朝野共に敬い奉祭に勤めてきて、昭和13年には新社殿を奉建しましたが、年月を重ね屋根などに朽損をみた折柄、貞観6年(864)陸奥出羽按察使に命ぜられ多賀城に赴いた正三位中納言源朝臣融を祀った六臣宮を当神域に合祀してから、その旧社地が休閑となったので売却し、昭和59年にその資金で本殿幣殿拝殿修造屋根を銅板で葺き替えました。(境内「修造の記」より)
「修造の記」拡大写真はこちらで 神社入口 |
新古今集歌碑 山口女王が大伴家持へつかわした歌 「しほかまのまへにうきたる浮島の 浮きて思ひのある世なりけり」 |
昭和19年生まれの縦置き阿吽の位置が反対の狛犬 双方角付きで、顎の張った前脚の細い狛犬です。穏やかな顔つきで鬣が短く、瞳が彫られています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和19年(1944)旧9月15日建立) |
拝殿 | 本殿 |
境内社三社 | |