冠川神社

多賀城市新田(平成19年7月22日)

 この神社は多賀城市の西外れ、冠川左岸に鎮座しています。
 境内の記念碑には「この地は古来新田の鎮護の為冠川神社を建立し、稲荷大明神を祀り、産土神として村民の信仰の篤かった由緒ある聖地であった。特に明治維新後徴兵制を布かれるや、徴兵された村者の入営や西南役を始め各事変、大東亜戦争等の従軍兵士の武運長久の祈願所で、唯一の拠り所であり精神的な慰めの場でもあった。明治43年内務省より市川区の奏社宮に合祀されたが、その後氏子総代他5名の代理名義として保存して来しが、然るに時移り、昭和23年新憲法公布せられ、旧来の家族制廃止と共に家督相続が無くなり均等遺産相続制となり、代表者名義人の内迷惑を蒙る。後継者続出の状態で区に返上の声上がり、区民も捨ておけず一同協議の結果希望者に特売するも、これを得んと一決す。此処において我々13名相談し地元の由緒深い土地を区より有償にて譲渡を受け永久に保存す。」と記されていました。
 「多賀城市史」には「昔、ある貴人が橋を渡ろうとしたとき、突然風がふき、被っていた冠が飛ばされて川に落ちました。その冠が、この里まで流されてきたとき、一匹の狐が、その冠をくわえて岸に上がったのです。
そのため、 里人たちは、この川を「冠川 」と呼び、狐が冠をくわえてきた場所に、 冠川神社を建てて祀ったといいます。」とあります。冠川とは現在の七北田川のことです。

記念碑 神社入口
社殿
社殿内の様子 石碑