小野宮惟喬親王神社

白石市福岡八宮字弥冶郎北72-1 (平成21年4月30日)

東経140度34分31.2秒、北緯38度1分58秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
別名、こけし神社とも言い、弥冶郎こけし村の中に在ります。

由緒
小野宮惟喬親王は、約一千年前の平安時代に文徳天皇の皇子としてお生まれになった方です。歌人として優れた作品を数多く残しておりますが、皇位には就かずに京都の都を離れて生活し、木地挽きをするためのろくろを考案なさったと言い伝えられております。そのため木地業を司る神様として深く信仰され、全国各地に小野宮惟喬親王神社が存在しております。こけしの産地として知られている弥治郎集落では、昭和34年に滋賀県の総本社から惟喬親王の分身をいただき、弥治郎南に神社を建立して安置しておりました。しかし、平成15年に「弥治郎こけし村」が開村して十周年になることを記念し地元はもとより全国のこけし愛好家の方々からも浄財を募り、この場所に移転して拝殿を改築致しました。平成16年1月2日にこけし初挽き行事に先立って落成式が挙行され、それ以来この神前において毎年こけし初挽きが催されています。
(以上 弥治朗こけし組合由来記による)原文はこちら。

管理人の一言。
惟喬親王は文徳天皇の第1皇子であったが、右大臣藤原良房の女、明子が生んだ惟仁親王(後の清和天皇)を皇太子に立てた為、二十八才の時、世をはかなみ剃髪して出家し、「小野の里」に幽居する。人は親王を「小野の宮」と呼んだそうです。

入り口

鳥居

拝殿

龍でなくこけしです 神額