益岡八幡宮

白石市益岡町 (平成26年8月3日)

東経140度37分01.06秒、北緯38度00分00.77秒に鎮座。

この神社は、白石城内北西隅に鎮座しております。

御祭神 

由緒
益岡八幡宮は白石城の鎮守社である。城主片倉氏は武功の家で、初代景綱公以後累代藩南境の御境守として負託に応えてきた。四代村長公はその由縁をもって武神である山城国石清水八幡宮の分霊を城内西曲輪に遷座奉祀し、貞享2年(1685)6月15日別当千手院をもって祭祀を執行し、奉行矢内弥九郎、代参本沢平右衛門常直が務めたと片倉代々記に記してある。安永6年(1777)9月藩の編纂にかかる風土記書出にも当社について同様の記事がある。しかし維新後片倉家家士の多くは北海道開拓で当地を去り、ために社殿は腐朽し神域また荒廃した。
明治15年(1882)矢内弥一郎氏ら後小路の有志相図って現存の石造神祠を再建した。さらに昭和6年(1931)西益岡区長紺野弥七郎氏、伍長森豊治氏らが主唱し区内有志に諮り境内の掃除、参道の改修整備、櫻苗木の植樹を行った。昭和12年(1937)日華事変以来大東亜戰争終戰まで区内や近郷から出征する将兵の武運長久を祈願する家族の参拜は跡を絶たなかった。今も当時献納された幟など多く保存されてある。現在神域は益岡公園の一郭に属し自治会及び老人クラブ員によって清掃が行われ、西益岡自治会が祭典を執行している。茲に当社の沿革を述べ先輩の護持の功を賛え神威の弥栄ならんことを祈るものである。
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

神額と社号標

参道

境内

社殿