水分(みくまり)神社

白石市福岡八宮中ノ川上13-2 (令和5年7月20日)

東経140度36分46.73秒、北緯38度01分26.28秒に鎮座。

この神社は、東北自動車道・白石ICの南西2km程の辺り、中ノ川上の街中に鎮座しております。

御祭神 天水分神・国水分神

由緒
白鳳8年(680年)、大和国(奈良県吉野町)に鎮座の蔵王権現を、不忘山頂に勧請し、不忘山蔵王大権現(奥宮)として祀られ、この時に山号を蔵王を改められた。延暦20年(801年)頃、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝祈願したといわれ、治承元年(1177年)に藤原秀衡が社殿を造営した。永正2年(1505年)御岳林に里宮(蔵王権現社)を造営し、村内各地に祀られていた神明社、愛宕社、天王社、賀茂社、八幡社、春日社、熊野社を境内に祀り八社になり、八宮の地名の由来と伝えられている。慶長8年(1603年)片倉小十郎景綱公白石城主となり代々崇敬厚く、元文元(1736年)奥宮が火災に遭い仮宮が建てられた。その仮宮が大風の災難に遭い、元文5年(1740年)片倉家により社殿が再建され、この時に不忘山頂に奥宮(石祠)を建て、御神体を里宮に安置した。明治2年(1869年)水分神社と改称した。明治4年(1871年)再び火災に遭い社殿を焼失し、仮宮が建てられた。明治7年(1874年)社格を郷社に列せられ、大正12年(1924年)神饌幣帛料の共進の指定を受けた。平成8年(1996年)不忘山頂の奥宮と里宮の仮宮が老朽化したため、氏子、崇敬者により里宮(本殿、幣殿、拝殿)と不忘山頂の奥宮(石祠)が再建された。
宮城県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

境内入口

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

神額

拝殿内部

本殿


日吉宮

石祠

石碑等

紫陽花