塩竈神社境内

 御祭神:別宮に主祭神・塩土老翁神、向かって右の左宮・武甕槌神、向かって左の右宮・経津主神
 例祭日:1月1日・歳旦祭、1月3日・元始祭、1月14日・松明祭(どんと祭)、立春前日・節分祭、2月11日・紀元祭、2月17日・祈年祭、3月10日・帆手祭、4月第4日曜日・花まつり、5月中・御神田 御田植祭、6月30日・大祓式、7月4日〜6日・藻塩焼神事、7月10日・鹽竈神社例祭、7月第3月曜日・みなと祭、10月5日・献茶祭(裏千家)、10月8日〜10日・鹽竈神社 講社大祭、10月17日・神嘗祭当日祭、10月中・御神田抜穂祭、11月3日・明治祭、11月23日・新嘗祭(初穂曳)、12月1日・嘉津良比祭、12月23日・天長祭、12月31日・大祓式 除夜祭
 境内社:神明社、八幡社、住吉社、稲荷社、境外社:御釜神社・牛石藤鞭社、新浜町・曲木神社

 由緒:この社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めてきました。創建年代は明らかではありませんが、その起源は奈良時代以前に遡ります。平安時代初期(820)に編纂された「弘仁式」主税帳逸文には「鹽竈神を祭る料壱萬束」とあり、これが正史に現れた初見とされています。当時陸奥国全体から中央政府に徴収されていた正税が六十萬三千束の時代ですから、地方税の60分の1という破格の祭祀料を受けていた事が伺われます。しかし全国の主要な神社3132座を記載した「延喜式」(927)の神名帳にはその名が無く、延喜式に記載のある神社を「式内社」、鹽竈神社は「式外社」ではありましたが、東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮として重んじられ、奥州藤原氏や中世武家領主より厚い信仰を寄せられてきました。中世以降の領主は大神主(宮司)を務め、特に江戸時代にはいると伊達家の尊崇殊の外厚く、伊達政宗公以降歴代の藩主は全て大神主として奉仕てきました。
 鹽竈神社が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が考えられ、多賀城の地に国府が置かれると、その東北方向つまり「鬼門」に位置し、蝦夷の地に接していたこの社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられます。その流れが今度は武家社会に入ると陸奥國総鎮守として一層尊崇を集めてきたのです。
 鹽竈神社の御祭神は別宮に主祭神の塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神をお祀りしていますが、江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった様です。陸奥國最大の社として中古より崇敬された神社の御祭神がはっきりしないのは奇異な感じがしますが、呼称も鹽竈宮・鹽竈明神・鹽竈六所明神・或いは三社の神など様々あった様です。そこで伊達家4代綱村公は社殿の造営に際し、当時の名だたる学者を集めて研究させ現在の三神とし、又現在の別宮の地にあった貴船社と只州(糺)宮は現在の仙台市泉区の古内に遷座されました。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが塩土老翁神の神であり、一説には神々は海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸されたと言われ、又塩土老翁神はシャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えもあります。
 慶長12年(1607)、藩祖伊達政宗公が再興して神域を定め、現社殿は四代藩主綱村公が元禄8年(1695)から9年の歳月をかけ宝永元年(1704)に竣功しました。幕府から日光東照宮の改修を命ぜられた綱村公は自らも現地に赴くなどして力を注ぎ、その事業が済むとその職人を呼び寄せ鹽竈神社の社殿以下の造営を行ったのです。建物の様式や彫刻が東照宮と大変よく似ているのはそのためです。本殿は素木造檜皮葺の三間社流造り、一方の拝殿は朱漆塗銅板葺入母屋造と好対照を見せており、又別宮は本殿一棟に拝殿一棟、左右宮は本殿二棟に拝殿一棟と特徴的な造りとなっています。
 この造営以後、鹽竈神社には伊勢の神宮と同じく二十年毎の式年遷宮が定められ、屋根替えや社殿の補修、漆の塗り替えや金具・調度品の修復等が行われ、平成3年には第17回式年遷宮が行われました。平成14年12月に本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門(楼門)以下14棟と石鳥居1基が国の重要文化財の指定を受けています。(「塩竈神社公式サイト」より)
 この社は狛犬の宝庫で境内に3対、参道に6対、拝殿内の神殿狛犬1対の計10対と、五重石燈籠に1対、銅鐵合製燈籠に丸彫りの狛犬1対がいました。


境内案内図

志波彦神社からの参道の様子と鎮守の杜の木々
表参道からの随身門 東参道からの東神門
東神門を入ってすぐにいる文久3年(1863)生まれの狛犬
この狛犬は東参道と志波彦神社からの参道の合流地点にいる、文久2年(1862)生まれの狛犬と同じ石工さんの作品です。やはりこの地域の狛犬とは感じが異なり、阿には頭上に穴が開きやや首を曲げ、吽は真正面向きで歯をむき出しています。獅子頭のような顔で、前脚が太く全体的に逞しい印象を受けます。丁寧な彫りで出来の良い狛犬です。
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(石工・気仙沼 友輔 文久3年(1863)3月吉日建立)
舞殿 唐門前の様子
末社:左から
稲荷社・住吉社・八幡社・神明社
末社前から見た回廊西角
末社前にいる年代不明の狛犬
精悍で整っている江戸流れです。
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唐門前にいる、延享4年(1747)生まれの狛犬
「東北でいちばん有名な狛犬」だそうで、狛犬ファンならば一度は必ずご尊顔を拝したい狛犬の一つです。「ウルトラの母」のような顔立ちで、前脚と後ろ脚の間は刳り抜かれていません。鬣は太く大きな渦巻きが垂れ下がり、尾は鬣と同じ太さの棒状のものを伸ばしたり渦巻いたりさせています。昔は陸奥地域の慣習に則り、阿吽の位置が反対だったのでしょう、外側前脚が引かれています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(延享4年(1747)8月吉日建立)
唐門
銅鐵合製燈籠
文化年間(1814)、藩主・伊達周宗公寄進のこの燈籠は見事なものでした。
今まで見てきた物の中でも、トップ3には入るのではないでしょうか?
銅鐵合製燈籠燈明部でのたうつ精巧な龍
銅鐵合製燈籠下層で羽ばたく有翼の龍
銅鐵合製燈籠の狛犬
銅鐵合製燈籠に居た神獣
左右宮拝殿
左右宮本殿
左右宮拝殿の木鼻狛犬
左右宮拝殿内の神殿狛犬
別宮拝殿
別宮本殿
文治の燈籠
神餞殿