志波彦神社

塩竈市一森山1-1(平成19年7月22日)

 この神社はJR仙石線・本塩釜駅の東約800m、鹽竈神社の東参道に朱塗りの鳥居が建ち、鹽竈神社境内の隣に鎮座しています。参道には紅葉の樹が沢山植えられ、四脚の随身門を潜ると、正面に流造・黒漆塗りの優雅にして華麗な本殿、朱漆塗りの極彩色の拝殿が建っています。全額国費を以て造られた最後の神社とも言われているそうで、昭和38年塩竃市の文化財に指定されています。

 御祭神:志波彦神
 例祭日:3月29日・例祭、9月29日・遷座記念祭
 由緒:延喜式神名帳に記載されている3132座の中でもわずか224ヶ所しかない「明神大社」と言う最高の崇敬を朝廷より受けていた神社で、元々は東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(現仙台市宮城野区岩切)の冠川の辺(現八坂神社境内)に鎮座していましたが、中世以降衰微の一途を辿り境内も狭隘だったため、明治4年の国幣中社列格の際に社殿造営が検討され、明治7年この地を離れ鹽竈神社別宮に遷座され、この際の御祭文に後日鹽竈神社境内に社殿を造営する旨が奏上されました。大正11年政府に造営の陳情をしたが、翌年の震災復興が優先され効を奏せず、昭和9年にやっと社殿造営に着手し、昭和13年に完成したのが現社殿で、社殿地は当時鹽竈神社の社務所が建っていた場所に建立されました。
 御祭神の志波彦大神は、鹿島・香取両神宮の御祭神(鹽竈神社左右宮御祭神)の東北地方平定に協力された神と言われています。御神名の志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉で、仙台市内に志和町、栗原郡志波姫町に志波姫神社(式内社)、岩手県紫波郡に志波城跡、志和稲荷神社・志和古稲荷神社とシワの名を持つ地名が点在します。これは大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったと思われ、この地方で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神或いは志波姫神と呼んだものと考えられますが詳らかにはなっていないようです。但し農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっており、農耕を生業としていた人々の守護神だったと思われます。(志波彦神社公式HP参照)

神社入口 鎮守の杜
社号標
「延喜式内明神大社 志波彦神社」
随身門
随身門の社額
「式内社明神大 志波彦神社」
境内の青銅製の灯籠
灯籠で遊ぶ狛犬
なかなかの面構えの良い狛犬です。
境内の昭和47年生まれの狛犬
ライオン顔で逞しい体つきの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・志賀石材店 志賀f 昭和47年(1972)4月吉日建立)
重厚な拝殿
拝殿内の木製神殿狛犬
角が無く比較的新しい物のようですが、関西で見かける古い型の神殿狛犬と共通する体型をしています。尾が面白そうな形をしています。
流造の優雅にして華麗な本殿