愛宕神社

仙台市太白区向山4-17-1(平成19年7月23日)

 この神社は仙台駅から愛宕上杉通りをまっすぐ南へ進み、広瀬川に架かる愛宕大橋の南詰めに目立つ社号標が建ち、入り口から緩い石段の参道を登った河岸段丘の上に鎮座しています。参道脇や境内の周囲は鬱蒼とした鎮守の森の中で、雨が降っていなかったらさぞや気持ちの良い参拝が出来るだろうと想像できますが、何せ今日は結構な降りなので車道からの裏参拝をさせて頂きました。渋い造りの神門内には日本最大のカラス天狗・大天狗が睨みを利かし、江戸時代初期の建築と考えられる社殿は市指定文化財となっています。

 御祭神:軻遇土神、配神・天照皇大神、豊受大神、大物主神、大山咋神、大国主神、伊邪那岐神、伊邪那美神、速玉男神他四神
 例祭日:旧正月24日・鎮火祭、7月23・24日・例祭、11月23日・秋季大祭
 境内社:稲荷社、勝鬨神社
 由緒:古くは羽州米澤に鎮座していましたが、天正19年(1591)藩祖・伊達氏十七世正宗公が、米澤より陸奥國玉造郡岩出山に移るに際して、この社も岩出山に遷座されましたが、慶長5年(1600)千代城を青葉山に築城、名を仙臺(台)と改められたこの地に、慶長8年(1603)の正宗公入府に合わせ、この社も一時国分荒牧村に仮遷座を行い、同年仙台城や城下を一望できるこの愛宕山(以前天狗山とも称す)に社殿を造営・遷座し、誓願寺を別当寺としました。以後藩内の安全を祈願するなど、とくに火防の祭は城下挙げての盛大な祭りが行われたといわれています。歴代の藩主特に2代藩主・忠宗公、3代藩主・綱宗公は改修、修復工事を行ないました。
 その後明治4年には旧村社となり、昭和8年には幣帛供進社に指定され、明治41年から昭和10年にかけて、神明社、信夫神社、日吉神社、熊野神社、金刀羅神社が合祀されました。
 明治以降も例祭は仙台市内全域の御輿渡御が市民挙げて盛大に行われ、とりわけ終戦直後には廃虚となった市中の復興と市民の心の奮起を願い、戦前にも勝る神輿の渡御が3カ年連続して斎行され、杜の都仙台市の復興と発展の基となったようです。

表参道入口
裏参道の一の鳥居 表参道途中の鳥居
表参道の様子
神門
神門内で睨みを利かす
日本最大のカラス天狗・大天狗
市指定文化財・拝殿
拝殿内の様子

拝殿前にいる宝暦5年(1755)生まれの狛犬。縦置きで、内側前脚を引いています。双方角付き、口蓋が割れ、やや猿顔で、垂れ耳は途中で折れています。鬣は二段に別れ短髪、尾は三本の円筒が背に張り付いた形で並んでいます。
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(宝暦5年(1755)1月24日建立)
拝殿の扁額 市指定文化財・本殿
境内社・稲荷社入口 境内社・稲荷社社殿
稲荷社社殿脇にいた、小さいけれどインパクトの強い、独創的な狛犬。エイリアンを思わせる顔つきで、阿は目つきの悪い子狛を押さえつけ、吽は玉取です。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社・勝鬨神社
軍艦愛宕慰霊碑
多種多様な絵馬
神楽殿