秋保(あきう)神社

仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22 (平成22年2月12日)

東経140度39分49.67秒、北緯38度15分36.75秒に鎮座。

【狛犬情報・かぐらさんから戴きました】
 こんにちは。東京の雪はどうでしたか?
 大都会はちょっとでも降るとパニックだと聞きました。仙台人は慣れていますがそれでも温暖化のせいか、ちょっと降ってもすぐ溶けてしまうので私などは少し不満です。
 さて、そんな短い期間の雪景色の中温泉でも入ってこようと思い、昨日は太白区の秋保(あきう)近辺をドライブしてきました。
そして神社ふたつ発見。ひとつめは、秋保神社の狛犬さんです。ここの「阿」の口にちょっとだけつららがありそれが透明な歯のように見えて楽しかったです。
 新しいのか改装したのか小綺麗なところでした。お神楽なども行われるようです。

 御祭神:健御名方命、豊受皇大神、少名彦之命、應神天皇、大巳貴之命
 祭礼日:元旦祭・元旦、どんと祭・1月14日、神楽初奉納・同日、祈年祭・2月17日、例祭・9月14・15日(平成20年)、新嘗祭・11月23日
 由緒:元、秋保村領主秋保氏の勧請するところにして秋保氏の祖先平重盛の孫資元は平氏で西海に没落の折り肥前長崎に居住す。其後、平基盛に至り永仁3年8月鎌倉将軍維康親王に仕え奥洲名取郡を賜り秋保郷に住し、徳治2年左近衛将監に任じた。数代を経、平盛房に至り明暦9年深谷大曲城主永井掃部晴信の攻むるところとなり再び没落して最上山形に流浪、天童に留まること12年余、厭世の極西海巡礼を思い立ち途中信州諏訪に鎮座の諏訪神に本土恢復のことを祈願し数年後天童に帰る。時に永井氏意驕り民を虐げること甚しく非道であったから民の疾苦亦甚しく居民は盛房を慕いこれを天童より迎いその居城戸崎を攻めてこれを亡くしたる後、盛房信州諏訪の神霊を奉じ来り霊地を卜し安置し奉り祈願所としたと伝えられ、時に室町時代の永正10年(1513)であった。明治5年村社に列せられ、同40年3月供進社に指定された。同42年3月大字馬場の愛宕神社をはじめ、長袋の神明社、新川の新川、湯元の湯、境野の八幡・羽山、新川の白山の各神社を合祀、諏訪神社の社号を秋保神社と改め今日に至った。今9月15日に例祭が行われているが、各部落の神社合併以前は2月、7月27日両度に行われ、特に2月の祭典には村内五ヶ部落氏子総出動して鹿狩を行ない、之れを神に献ずる例であった。
(「宮城県神社庁検索サイト」より)

「秋保神社公式サイト」はこちら

社殿に架かる額
塩釜神社型と思われる狛犬
縦型でやや平板な猿のような顔つきや、大きな渦のパンチパーマ、お尻から背に張り付いた棒を並べたような尾等の特徴から、1700年代後半に作られた物ではないかと推測されます。雪のない時期に是非拝見したい狛犬です。