八坂神社

仙台市宮城野区岩切若宮前11-7(平成19年7月22日)

 この神社は岩切地域の七北田川左岸、県道35号線に面して鎮座しています。この地は明治7年に鹽竃神社の別宮に遷し祀られている、志波彦神社の旧社地だそうです。そんなに広い社地ではありませんが、綺麗に手入れされた気持ちの良い神社で、明治10年には志波彦神社の分霊を勧請して境内社・冠川神社として祀られています。

 御祭神:素戔鳴尊
 例祭日:8月1日・大祭、7月31日・前夜祭
 境内社:冠川神社、愛宕神社
 由緒:文治5年(1189)、高森城主・伊澤家景公が京都の祇園から勧請し、始めは岩切村・余目の城内に鎮座していました。後、同村の台ヶ原頂上に座して天王山と称すようになりました。戦国時代の天正年間(1573〜1592)の頃より社殿は荒廃し祭事も出来ない状態となっていました。
 仙台藩主・伊達政宗公が寛永年中(1624〜1643)、天王山より現在の地に遷宮し、祭田二百文(二石)の地を寄進し篤く祭事を行う様になりました。
 神仏混淆の時代は祇園牛頭天王社と称しましたが、明治の初め現社名に改称し、明治6年に郷社に列し、大正3年幣帛供進社に指定されました。また明治43年には近隣の各区内より、物忌神社(村社)(羽黒前)、諏訪神社(羽黒前)、若宮八幡神社(羽黒前)、天神社(羽黒前)、三社宮(今市)、矢崎神社(畑中)、八幡神社(畑中)、志賀神社(鶴ヶ谷)、松木神社(燕沢)、熊野神社(燕沢)、神明社(堰下)、諏訪神社(小鶴)、八幡神社(小鶴) 、八幡神社(雑社 小鶴)、羽山神社(小鶴七反田)、熊野神社(無挌社 新宿)、雷神社(生沢)の17鎮守社を合祀しました。
 境内社・冠川神社の御祭神は神産霊尊、大勢至菩薩で、天正年間に縁起を焼失し沿革不詳となりましたが、この社は延喜式内明神大社・志波彦神社で、いつ頃よりか甚だしく衰微し、延宝3年(1675)の再建には堅石5尺横6尺の小祠となり、しかも摂社である天王社と並び立つ状態でした。明治4年、官国幣社治定に当たり国幣中社に列せられましたが、社地が狭く社殿の造建に不向きなので、明治7年に鹽竈神社に遷宮されました。明治10年官許を得て志波彦神社分霊を岩切村の旧社に奉遷し、冠川神社と称し、国幣中社(陸奥国一ノ宮 志波彦神社・鹽竈神社)の摂社に指定されました。

神社入口
明和5年(1768)生まれのはじめタイプ狛犬
阿吽の位置が反対で、吽は角を付けています。居丈高でなく威厳に満ちた良い面構えをしており、筋肉質の引き締まった体つきをしています。鬣は短めですが毛先が大きくカールし、尾は太く真っ直ぐに立てられています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明和5年(1768)3月15日建立)
拝殿 本殿
境内社・冠川神社(志波彦神社) 境内社・愛宕神社
神楽殿 包丁塚