鷲倉(わしのくら)神社

仙台市泉区福岡小山19-2 (平成25年8月1日)

東経140度46分58.28秒、北緯38度22分06.53秒に鎮座。

この神社は、泉区といっても、東北道・泉ICの西北西7km程の辺り、屏風岳の山中で森に囲まれひっそりと鎮座しております。

御祭神 大己貴神

口伝では「推古天皇の御代(592年〜628年)、登喜多麿(ときたまろ)の勧請するところ」とあり、非常に古くから山岳信仰の対象であったと思われる。また、宝亀11年(780)伊治公砦麻呂(いじのきみあざまろ)の反乱があり、その際に防御した5つの道の1つに「鷲座(わしのくら)」という地名があり、この辺りと考えられる。
社(やしろ)は昔、西方の最高所に鎮座し、屏風岳西方にある鎖集落から鉄鎖に頼って参詣していた。その後、現在地に移され、参詣路も小山集落からとなった。
棟札(むなふだ)や入口の石碑によれば慶長9年(1604)仙台藩初代藩主伊達政宗が経費を出し、社が造営された。
現在の社は、明治14年(1881)に改築された。本殿は正面3間、側面2間で正面に1間の向拝(こうはい)がつく入母屋造り(いりもやづくり)、軒や向拝は動物、唐草などの彫刻や組物(くみもの)で飾られている。境内に嘉元(1303年〜1305年)の板碑、鞍掛の石(くらかけのいし)、姥杉(うばすぎ・樹齢400年以上)がある。
境内由緒書き より

由緒
この地は、続日本紀宝亀11年780の条に「鷲座(わしくら)」と地名が出ており、古い歴史をもっている。怪異な山容が原始信仰の対象となり、神仏習合時代には魔訶迦羅天(大黒天)が祀られ、お山の権現様として篤い信仰を集めていた。明治8年9月村社に列格。明治42年3月、雷、天、八坂、薬師の4社を合祀した。大正12年11月供進社に指定された。
宮城県神社庁 より

神社の南東300m程の辺りの参道入口

馬櫪神 社号標

石碑

鳥居

神額

参道

参道は途中から石段となり、さらに続きます。
参道途中の石祠

神仏混交時代の名残か、梵鐘ならぬ宮鐘。

境内入口

境内

拝殿と狛犬

小ぶりだが、存在感十分な仙台狛犬。拡大写真はこちら。
(宝暦12年(1762)壬午6月吉日建立)

拝殿

本殿


鞍掛の石(くらかけのいし)

この見事な大石が鞍掛の石である。切り立った美しい屏風岳(291米)頂上にあった4米ほどの鞍の形に似た大石の上に乗ったように置かれて何千万年か開びゃく以来下界を見守ってきた自然現象の奇石で、人呼んで鞍掛の石といった。村の伝説では、昔鎌倉権五郎景政という豪傑が敵を防ぐために置いた石だと口碑は伝えてきた。屏風岳が砕石採取で消滅するので、この度鷲倉神社境内に移され神石として祀られここに鎮座したのである。

Googleマップで見る屏風岳。砕石として削られたようです。神様を追いやって良いのでしょうか?。

姥杉

嘗ては全山緑に覆われていたと思われますが、今は神社の周辺のみとなっています。