熊野神社

仙台市泉区松森下町1 (平成25年8月1日)

東経140度54分58.47秒、北緯38度18分46.85秒に鎮座。

この神社は、泉区役所の南東2.5km程の辺り、仙台市のベッドタウンが傾斜地に連なる、丘陵地帯の外れに鎮座しております。

御祭神 熊野加夫呂岐櫛御気神・大己貴神・少名彦神

由緒
当社の勧請年月は不祥なるも結城七郎の苗裔結城五郎が紀州熊野権現の分霊を請ひ建立したるものと伝ふ。当所は元熊野代権現と称し、此地の国主たりし國分盛重の氏神として尊崇せられ松森村の鎮守として奉祀されてゐたが、寛文年中火災に罹り往古の縁記神宝等焼失せり。寛文11年別当永全時の藩主伊達綱基に請ひ造営の木材を拝領、広く浄財を求めて社殿を再建す。その規模大ならざりしも建築様式等最も精巧なるものなりしと云ふ。明治6年に名称を熊野神社と改め、村社に列せられる。大正4年7月指令第1604号をもつて村内無格社薬師神社を合祀せり、然るに昭和13年7月社殿後方岩磐崩落により全社殿倒潰せり。昭和14年8月氏子協力により現社殿を奉建して今日に至る。境内には神木の大杉があり樹齢1000年を経るものと認められ、幹の周囲20余尺村内髄一の老杉であり、村内は勿論遠く海浜方面よりの尊崇を享けてをりましたが、平成9年立ち枯れのため伐採された。
宮城県神社庁公式サイト より

松森松森縁起
文久二年 改(1862年)の風土記書出によると松森清水寺境内に鎮座、清水寺が別当として奉仕したとあります。
また、同地 佐藤嘉エ門蔵の「熊野宮」なる掲額に市名坂村の百姓長助が晩年孤独で死期を悟り、死後の供養に宝暦七年(1757年)持高田代壱メ四百九十文(中田で二町歩位)全部を清水寺を通して寄進する旨、遺言して亡くなり、その通り実行されたことが書かれております。両資料とも結城七郎苗裔結城五郎の勧請と俗名だけですので果して何代目の結城七郎か建立の年の推定は出来ません。往古は松森・市名坂・七北田・上谷刈・小鶴の五ヶ村鎮守とありますが藩制時代になって松森一ヶ村となったものです。祭神は、熊野加夫呂岐櫛気野神と申す方で熊野大権現と称しましたが、明治六年熊野神社と改められました。
背後の山には市内で二番目と言われる杉の巨木があり、奴杉と呼ばれ遠く仙台湾で働く船乗り達の目標であったと言われております。
境内由緒書き より

神社遠景

鳥居

境内

拝殿

神額

拝殿内部

本殿


末社