古川神社

大崎市古川諏訪2-6-55 (令和5年7月21日)

東経140度57分09.30秒、北緯38度34分45.90秒に鎮座。

この神社は、4号線と47号線との交差点の南150m程の辺りに鎮座しております。南隣は諏訪公園。嘗ては一緒だった、と言うより、神社の境内を公園にされたようです。

御祭神 武甕槌神・大国主神・武御名方神

由緒
当社は、大崎市の中央に鎮座し大正2年(1913)県の認可を得て鹿島神社・諏訪神社・諸神社を大正3年(1914)2月11日紀元節(現建国記念の日)に合祀して古川神社と改称鎮座された。はじめの鎮座地は大崎市本鹿島囲と称されるところで寛永年間(1624〜1643)には古川七日町に遷宮されたが、あまりにも人家が近く神威の穢れるのをきづかい現在の鎮座地となった。
鹿島神社は、由緒も古く50代桓武天皇の延暦20年(801)長月に征夷大将軍坂上田村麻呂東征に際し常陸の国、鹿島神宮に祈願し凱旋の途中その神徳の著しきに感激して、兵馬を休め凱旋の式典を行う所に社殿を創建した。古川、稲葉、大柿三村などを中心とする古川の鎮守神として本社の御分霊を勧請した古社で、六国史(日本三大実録)に記載する所の鹿島大神の苗裔神陸奥国38社の1社である。また坂上田村麻呂の守護神で、東征に際し奉持された国平定の神、大国主神(神像)も合祀し田村麻呂着帯の兜鎧を記念として当社に奉納し、後に武徳を後世に伝えんが為、境内地に埋め兜明神・鎧明神社を末社として勧請した。大同年間(806〜809)には鎮守府将軍大野東人末孫当地の境内に一寺を建立うぃ古川寺として当社の別当となる。
諏訪神社は、古川城主の守護神として勧請されたと伝えられ、合祀改称後も、お諏訪さんの愛称で親しまれ、古川神社例大祭と別に諏訪神社奉賛会が、年に一度例大祭を斎行し崇敬されている。
由緒書き より。

古川神社公式サイトはこちら。

参道入口

社号標

参道

鐘楼

境内入口

てるてる坊主

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和15年(1940)7月吉日建立)

向拝の龍と木鼻の狛犬

本殿


諏訪神社鳥居。住所は諏訪、愛称は諏訪さん。元々は諏訪神社であったと思われます。

神額

諏訪神社石碑


稲荷神社

お狐様

石碑

絵馬