温泉神社

大崎市鳴子温泉湯元31-1 (令和5年7月22日)

東経140度43分11.43秒、北緯38度44分15.86秒に鎮座。

この神社は、JR陸羽東線・鳴子温泉駅の南250m程の辺り、鳴子温泉街の高台に鎮座しております。

御祭神 大己貴命 少彦名命

由緒
温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。「仁明天皇の御代、承和4年(837)4月、鳥谷ヶ森にわかに鳴動すること数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となつて流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は温泉の神を祀り、この年10月9日從五位下を賜る」と。里人はこの湯を鳴声(なきご)の湯と称した。これが現町名鳴子(なるご)の起り である。(宮城県郷土史)また朝廷では、延喜5年(905)全国の神社を調査した。その時、延喜式神明帖に登載された神社を延喜式内社と言うが、当神社は、その延喜式内社で由緒の深い神社である。明治7年村社に列せられ、昭和19年知事により、神饌幣帛料供進神社に指定された。祭神の大己貴命は、出雲の神として親しまれる大国主命ともいわれ、少彦名命と共に縁結びの神、農耕の神、また病気治癒の医療の神として知られ、多くの人々の篤い信仰を集めてきた。
秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常とした。この相撲は「文治5年(1189)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による相撲を奉納したことに始まる」とされている。鳴子相撲は九州の「明鳥」東京の「浅草」と並び、 日本の三大田舎相撲の一つとして有名である。
昭和10年、拝殿建立に続き昭和19年には本殿の竣工をみた。総けやきの権現造りである。例祭には、前記勧進相撲をはじめ、全国こけし祭りなどの特色のある行事が、町を挙げて盛大に催され、氏子だけでなく訪れる人々の大きな楽しみとなっている。
境内由緒書き より。

参道入口

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)8月8日建立)

拝殿内部

向拝の龍と木鼻の狛犬

本殿


石祠