沼部八幡神社

大崎市田尻沼部舘浦20 (令和5年7月22日)

東経141度03分45.93秒、北緯38度36分16.36秒に鎮座。

この神社は、JR東北本線・田尻駅の北1.5km程の辺り、舘浦の街中に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・大市姫神

由緒
沼部地域は加護坊山を南東に、旧貝の堀沼を北に、四季折々の気候風土に恵まれた、古代から先人の生活の痕跡が見られる地域である。
八幡宮は遠く平安時代の康平年間(1058〜1064)創祀と伝えられここ貴船の地に鎮座している。境内は附近を一望に見渡せる高台で、高見と呼ばれている。前九年の役で、源義家が安倍貞任を追討した古戦場である貝の堀を望むことが出来る。
ここには鎌倉時代徳治3年(1307)12月8日の板碑や南北朝・室町・江戸・明治・大正、各時代の古碑20基や力石と和魂石(にぎみたまいし)が現存している。
室町時代、応永15年(1408)には、境内に羽黒派喜宝院の修験道場が開基され、この地に古くから伝わる信仰と結びついた。現在の遠山家(当主廣志氏先祖)は寺社奉行から權大僧都の位を拝命し、明治3年(1870)迄代々500年に亘り、喜宝院と「沼部八幡宮」の別当(法印)を勤め経営をしてきた。
明治維新後の社格制度のより、明治5年(1872)八幡宮は村社に格付けされ「沼部村社八幡神社」と名称を変えた。明治36年(1903)沼部舘の羽黒権現社や春日大明神を合祀し、この後も薬師堂、村の鎮守弁財天が合祀されている。大正8年(1919)4月には寄進により境内に石鳥居や参道が稲井石で整備された。
昭和22年(1947)、GHQの指令により社格は廃止される。それに伴い国有地の神社境内は神社庁を通じて払下げを受け、氏子(信者)の管理運営する「沼部八幡神社」となった。往古から多くの人々に郷土の誇り「八幡様」と親しまれ、人生に於ける、道先案内の神として、深く信仰されている。・・・・・。
境内由緒書き より。

参道入口

二の鳥居

割拝殿

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和39年(1964)旧9月15日建立)

本殿覆屋


薬師堂

絵馬