大崎市田尻蕪栗舞岳 (令和5年8月5日)
東経141度06分58.75秒、北緯38度36分33.19秒に鎮座。
この神社は、JR東北本線・田尻駅の東北東5km程の辺り、舞岳の街外れに鎮座しております。
御祭神 武甕槌神
由緒
舞嶽神社は西紀807年の大同2年奥州鎮護の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂の勧請により舞嶽観音堂として建立されたものと伝えられ千年以上の永い間この地の護りとして信仰をあつめ祀られている。130程前に災禍に遭い立派な殿堂が焼失した為氏子達により二間四面の堂宇が建立された。偶明治初年(1868)に維新政府が祭政一致の方針の下に神佛分離の令が出され武甕槌神を祭神とする舞嶽神社と子安観音とが別堂として祀られた明治43年(1910)に至り政府の勧奨により舞嶽神社が熊野神社に合祀されたるも間もなく悪疫流行したるため、これ合祀による神佛の戒めならんと慮り御神体を熊野神社より戻し往昔通り祀り現在に至る。・・・・・・
境内由緒書き より。
参道入口
神額
二の鳥居
境内
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
拝殿内部
本殿覆屋
子安観音堂
石碑