(ゆき)神社

黒川郡富谷町志戸田塩釜15(平成19年7月26日)

 この神社は仙台方面から4号線を北上し、大和町へ入る手前、志戸田信号から200m程左斜め前方の道へ入ると、左手の塩竃殿山と呼ばれる小山の上に鎮座しています。案内板のある入口左には一つの塩竃が飛んできたといわれる塩竃池があり、整備された石段を上がると鳥居が建っています。一直線に伸びた参道奥に赤い屋根の社殿が建ち、境内には仏像や庚申供養塔等が建立されていました。
 創祀年代・由緒等は不明で、案内板には「陸奥国に百座、黒川郡には四座の式内社が祀られているが、行神社はその内の一社である。
 行神社の祭神は猿田彦命である。神社名から「行く」の意味とすると一種の道祖神、岐神となり、往還の守り神と考えることができる。「行き」を靭ととると軍事の神として祀り、大衡にある須岐神を鋤神ととらえ、農業の神として蝦夷経営にあったとも考えられる。
 また、大嘗祭の時に東に悠紀殿、西に主基殿の二殿が特設されて祭儀がとり行われるが、富谷の「ゆき」大衡の「すき」はみちのくの朝廷多賀城と結びつけると、なんらかの関係が考えられる。」と書かれていました。
 この志戸田地域には朝比奈三郎という大男が、土を運んで七つの山を造り、腰から下げた縄の跡が吉田川になったという伝説や、その足跡が草鞋型の田になり、その田から四斗の米が取れたので四斗田と呼ばれ、いつしか志戸田の地名となったという言い伝えが残っているそうです。朝比奈三郎は鎌倉幕府初代侍所別当、和田義盛の第三子で、生母は木曾義仲の側室巴御前であると伝わる勇猛果敢な武者ですが、この地ではダイダラボッチの様な大男として伝説に残っているようです。

神社遠景
人JT阿入口 参道と境内の様子
拝殿 本殿
仏像 庚申供養塔
社殿前から振り返る