吉岡八幡神社

黒川郡大和町吉岡町裏39(平成19年7月26日)

 この神社は吉岡小のすぐ西に鎮座しています。市街地の神社ですが、鎮守の杜がしっかり護られ、境内なども整備されたとても立派な神社でした。重厚な随身門は和元年(1764)造営で、社殿は拝殿と本殿を一つの建物とした石の間造りで、県の重要文化財に指定されていましたが、昭和63年8月13日の落雷で焼失し、平成元年9月14日に再建されたものです。今の社殿も、平成の時代に良くここまでのものが建立できた、と感心するほどとても立派な建物ですが、昔の社殿もぜひ拝見したかったですね。

 御祭神:応神天皇、配祀:迦具土神、菅原道真公
 例祭日:1月1日・歳旦祭、1月14日・どんと祭り、4月14日・春季大祭、7月31日・夏越大祓式、 9月15日・秋季大祭(流鏑馬、等)、11月15日 七五三祝祭、12月14日・島田飴祭
 境内社:春日神社
 由緒:この社は奥州信夫の領主・飯坂右近大夫宗康の氏神でしたが、後に宮城郡国分松森に移りました。永禄年中(1558〜1569年)、黒川氏が鎌倉より本郡に移住し、下草村(鶴巣)の鶴楯城に入った時、社も下草村に遷座しましたが、黒川氏は後に滅亡してしまいます。元和年中(1615〜1623)から伊達宗晴公が崇敬して、元和4年(1618)春、大谷郡11ケ村の鎮守として現在地に遷宮し、寛永11年(1634)7月には、玄米15石ならびに諸神具を奉納し、8月15日の祭例には流鏑馬を行いました。文化14年(1817年)3月、藩主の伊達斉宗公が当社を参詣し「黒川総鎮守八幡宮」の神額を掲げて、郡内の総鎮守としました。明治5年3月には村社に列し、明治40年3月には幣帛料供進神社に指定され、明治41年には町内の秋葉神社と天神社を合祀しました。

神社入口 参道の様子
明和元年(1764)造営の随身門
随身門前の明和2年(1765)生まれの狛犬
縦置き、阿吽の位置が反対で、阿には丸い窪みがあり、吽には角が付いています。垂れ耳は折れ、短髪パンチパーマですが、両前脚は揃っています。楽しそうなお顔で、目の大きさは別として、吽の赤ら顔は一杯飲んだ時の我が夫に少し似ているかも…。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明和2年(1765)5月15日建立)
境内の様子 神楽殿
拝殿 拝殿の額
「黒川鎮守八幡宮」
本殿 境内社・春日神社
庚申塔などの石碑群