鶴ヶ峯八幡宮

黒川郡大和町宮床赤坂73(平成19年7月26日)

 この神社は総合運動公園の西、国道457号線沿いに鎮座しています。道路沿いに赤い鳥居が建ち、傍らには出羽三山等の碑が並び、案内板が設置されています。鳥居を潜り参道を行くと、森に入ってすぐに通行止めのゲートがあります。「えっ、参拝できないの?」と諦めつつも未練があり、通行止めの看板を良く読むと、「不法投棄を警戒した、一般車両通行止め」と書かれていたので、「じゃぁ、徒歩なら良いのよね。」と、早速ゲート脇から入り、杉の美林の中の参道歩きを続けました。100m程行くと未舗装の道路は山の方へ続き、右手に参道となる石段が見えました。石段は昔のままの石組みで出来ており、眺めるには風流な、苔むしていたり所々に夏草が生えています。その石段を足下を注意しながら上るとやはり夏草の茂った境内。境内の中央には向拝の無い赤い屋根の拝殿が建ち、後方に流造の本殿が渡殿により繋がれています。その他境内には、境内社や石碑、仏像などが無造作に祀られていましたが、その内の一体の仏様はとても美形で素晴らしい出来でした。境内入口に居る安永6年(1777)生まれの狛犬も、何とも愛嬌のある素朴で可愛い狛犬ですよ。

 御祭神:應神天皇 神功皇后 玉依姫
 境内社:鳴上賀茂明神宮
 由緒:通称は宮中八幡といい宮床田手岡館伊達氏の氏神だった社で、案内によると、古来八幡宮が祀られていましたが、長徳元年(995)、宮内少輔が京都の賀茂明神を勧請し、宮中大明神として祀りました。さらに、鴇田淡路実清が信州より諏訪明神を勧請して宮中八幡に祀りました。その後代々の伊達藩主からも篤い崇敬を受け、享保15年(1730)藩主吉村公が八幡宮を造営しました。別当は羽黒派当村修験鶴峯山正善院でしたが、社殿は、明治9年の山火事で焼失してしまいました。
 境内社の鳴上賀茂明神宮は、安永3年(1774)の「黒川郡宮床村風土記御用書出」によると式内社・須伎神社と比定されたようです。

神社入口 入口脇に建つ出羽三山等の碑
鳥居から続く参道には車輌通行止めのゲート 参道
参道は右手に分岐し、
草に覆われた石段登りとなります。
石段は昔のままの石組みで出来ています。
石段途中より境内を仰ぐ 後、数段で境内です。
嬉しいことに拝殿と共に狛犬の姿が見えます。
境内入口に居る安永6年(1777)生まれの狛犬
阿吽共に頭上に小さな突起があり、土偶のような大きく四角い目と膨らんだ頬、口蓋が割れ大きく耳まで続いた口、顔の中央にチョコンと乗った鼻、短く編まれたような顎髭と同じく短髪の鬣、尾は広く薄く背に張り付いています。何とも愛嬌のある素朴で可愛い狛犬で、いっぺんにお気に入りに追加。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安永6年(1777)旧正月吉日建立)
拝殿 本殿
境内社・鳴上賀茂明神宮? 末社
末社と碑 仏像
仏像 仏像
仏像 仏像
良いお顔、お姿をしていらっしゃいます。
社殿前から振り返ると、森と狛犬が絵になる風景を作っていました。