鹿島天足別(かしまあまたりわけ)神社

黒川郡富谷町大亀字和合田2-81-2(平成19年7月26日)

 この神社は大亀山森林公園内に鎮座しています。この社は式内社ということですが、付近に住宅は見あたらず、氏子さんは何処からいらっしゃるのかしら?と不思議に思いました。入口の鳥居を潜ると参道は殆ど昔からの石組みの石段で、苔むして風情はありますが足下が危なく、ただただ足下を気を付けながら木々の間を上がりました。境内にたどり着くとそこはうって変わって明るく、正面には大きな亀岩が堂々とした姿を見せ、その左側に社殿が建っています。社殿前には全くの赤の他人(他狛?)が、仲良くお守りしていました。

 御祭神:經津主命、武甕槌命
 例祭日:4月第3日曜日(町指定無形民俗文化財・榊流永代神楽奉納)
 境内社:鎌足神社
 由緒:勧請年月日は不明ですが、坂上田村麿が黒川郡に進出した際に勧請したという言い伝えがあります。昔は、大亀大明神、岩下明神と称されていましたが、明治のはじめに、現社名に復しました。明治42年に、近隣の神明社・吹上社を合祀しましたが、「舊神祠記」では、当社を式内・石神山精神社とし、この吹上社を、式内・鹿嶋天足別神社としています。同時期に、石積字長栄前の熊野神社、石積字堂ヶ澤の薬師神社、西成田字白鳥の熊野神社、西成田字南田の熊野神社、西成田字郷田の薬師神社、明石字宮前の明石神社なども合祀されています。
 この由緒書きを書いていて、ふと気が付いたのですが、社名の天足別神とは鹿島神の子孫とされていますが、この神の名は御祭神として残っていません。明治期に御祭神の差し替えはあちこちであったと聞いていますが、この神はマイナーとはいえ鹿島神の末裔、差し替えの必要性は感じられません。一体如何なる理由でこの様な状況になってしまったのか? とても疑問が残りました。

神社入口 石段の参道
やっと境内が目前となりました 境内から入口を振り返る。
自分でもよく登ってきたと感心したり、目眩がしたり…。
社殿前の狛犬
全くの赤の他人(他狛?)が、仲良く社殿をお守りしています。
阿は嘉永4年(1851)、吽は安永9年(1780)生まれの、全く別々に建立された狛犬達です。
それぞれの時代の流行を反映した姿をしています。
 狛犬の拡大写真はこちらで
(阿・嘉永4年(1851)3月19日建立)
(吽・安永9年(1780)10月15日建立)
拝殿
拝殿内の様子

拝殿内に架かる額「髭面」 本殿
本殿と亀岩
案内板に「里人は大亀と呼び大明神の地にあるので、神社名(大亀明神)となり、さらに村名(大亀)となったといわれる。」とありますが、横からでは全く想像できません。本殿脇の斜面上に上がると「やはり、亀かな?」と思わせる造形をしています。
亀岩下に咲いていた白い蛍袋