和我(わが)神社

栗原市築館萩沢木戸122 (令和5年7月23日)

東経141度03分08.94秒、北緯38度43分54.53秒に鎮座。

この神社は、東北自動車道・築館ICの北東5km程の辺り、萩沢木戸のまばらな街中に鎮座しております。

御祭神 武烈天皇

由緒
『延喜式内社に記載されている栗原七社の一社である。小泊瀬稚鷦鷯命が東北行幸の際、海辺を経て牡鹿桃生を過ぎ、此の地萩沢加倉大屋敷城戸に上陸され、此の地に暫く駐泊され北征されたと言う伝説がある(そして用いられた舟を繋いだ老杉は樹齢1500年、明治30年枯損する)。帝の従者は睦氏で後裔は久我氏と和我氏の二姓となる。久我氏は旧姫松村に居住し帝崩御の際陵を祀り、和我氏は城戸に居住し帝の為に址祠を祀る。これが社名の起こりであるという。「続日本紀」に、天平9年(737年)和我君計安塁は東征の夷敵を鎮めた旨の記載がある。この功により此の地の開拓に就いたのかもしれない。別名「新山権現」と称えられ、前記の老杉等の記述は封内風土木や郡誌に見える。明治8年5月村社に列す。明治35年本殿改築。明治40年3月幣帛供進社に指定。昭和11年拝殿修築。氏子の崇敬篤く祭礼欠かさず、茲に巷の異説を排し永久に後世に伝える』以上『和我神社碑』(昭和12年6月20日建立)より抜粋。
宮城県神社庁公式サイト より。

参道入口

神額

境内入口

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(皇紀2600年記念 昭和15年(1940)建立)

拝殿内部

本殿


石祠等

神楽殿