藤太神社

栗原市瀬峰藤沢要害25 (令和5年7月22日)

東経141度03分05.01秒、北緯38度39分54.61秒に鎮座。

この神社は、JR東北本線・瀬峰駅の北西3km程の辺り、藤沢要害の街外れに鎮座しております。

御祭神 熊野寄御気野大神・國之常立神

由緒
この郷に熊野の神々を勧請したのは嘉応2年(1170)高倉天皇の御世奥州藤原氏の鎮守府将軍藤原秀衡に依ります。この平安末期の頃は神仏習合で熊野信仰が国中に拡がり”蟻の熊野詣で”と呼ばれた程篤い信仰を享けました。ここ藤澤の神南備の地は既に「國之常立神」を崇め奉り清き水流れる森厳な神籬磐境と熊野ノ神を斎き祀る神聖な処と定めました。
慶長年代(1596〜1614)藩祖伊達政宗「社殿」を再建。降りて明治元年(1868)神仏分離を経て、明治10年(1877)村社に列格。明治32年(1899)7月出火により焼失、後に氏子の寄進により34年「社殿復元」。明治44年(1911)神社合祀に依り八幡神社飛地境内社となる。亦、この栗原の郷は凡そ二千年前の「倭建命」東征を伝える神社が在り、景行天皇の御世の奥深い歴史を継承し 伝えております。
境内由緒書き より。

鳥居と社号標

参道

境内

拝殿

本殿覆屋


石碑