愛宕神社

栗原市栗駒文字葛峰前58 (平成25年7月31日)

東経140度54分25.81秒、北緯38度50分31.47秒に鎮座。

この神社は、栗原市役所の北西10km程の辺り、平野部の北西外れにある尾根が途切れる所に鎮座しております。各地の愛宕神社と同じく、山の上にあり、145の石段を息を切らしながら登らなければなりません。

御祭神 火乃加具土神

由緒
鎮座地は旧尾野松荘文字村、霊山大土ヶ森(580m)、御駒山(520m)、御岳山(475m)を西方に仰ぐ麓の地で栗駒山の登山口にあたる。(文字村とは門司の意であるという)。境内は樹齢300数十年の老杉が参道両面に鬱蒼として、古きを忍ばれしも、昭和21年4月文字中学校建築用材として伐採、現在は名木夫婦杉外数本を残すのみなり、。石階段145段の高台で山姿秀麗の鷹ノ巣山を望み月光明媚のところである。当社は人皇第12代景行天皇の皇子、日本武尊が東夷親征の際の創建と伝えられ大土ヶ森山頂に鎮座し「表刀神社」と称したが山火の災禍をおそれ、慶長元年3月現在地に遷座、寛永5年中、本山派修験者木神坊雄峯が福寿山無量寺と満徳山の2ヶ寺(現在地御堂)を開院以来2ヶ寺の別当が神仏混淆により愛宕大権現と改称奉仕す。明治元年4月大政官達により神仏混淆が廃止となり、愛宕神社と改称、時の法印月光印宥海は復飾(還俗)して村田己代之進と改名し社掌となる。明治5年6月村社に列格、同16年9月本殿改築、梢殿を以ってこれを覆い、同39年勅令により幣帛供進社に指定された。昭和46年12月拝殿並びに幣殿、神饌所の改築に着手し翌年9月1日竣工、昭和60年11月天皇陛下御座位60年の奉祝事業として参道石階段改修工事竣工、平成8年9月御鎮座四百年記念事業として、本殿、拝殿、幣殿の改修と拝殿屋根銅板葺き替えと手水舎の竣工する。
宮城県神社庁公式サイト より

参道入口

鳥居と社号標

社号標、慶長元年 (1596) 大土森より御神体を遷座して
以来四百年、文字の氏神として氏子の尊崇篤く今日に至る。
金華山 参道

境内入口。草陰から僅かに狛犬が見えます。

左右対称で無く同型に彫られています。拡大写真はこちら。
(天保8年(1837)丁酉建立)

一体だけの狛犬。拡大写真はこちら。

拝殿

神額

拝殿内部

本殿覆屋


石仏・石祠

夫婦杉