磯良神社

加美郡色麻町一の関東苗代27(平成19年7月26日)

 この神社は色麻小の南東約1.2km、鳴瀬川の支流か用水路二本に挟まれた一面水田の地域に鎮座しています。社号標の建つ辺りは紫陽花が沢山植えられ、広い駐車場があり、手入れされた社殿や境内社、「伝河童棲息之地」と書かれた碑や、可愛い河童の像が沢山置かれ、今では河童もここには住みづらいのではないかしら? と思えるほど明るく開けた神社でした。

 御祭神:気長足姫神など3柱
 例祭日:7月第4土・日曜日(河童太鼓や河童踊り奉納)
 由緒:延暦23年(804)征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐のおり、常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請しました。その先導を務めた川童東右ェ門は一関に永住し、その子孫達により祀られてきました。
 阿度目神や河童大明神とも言い、通称「おかっぱ様」という名で親しまれています。古くは、ここより南方の真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在の色麻町に遷座されました。60年に一度開帳される木彫りの河童像を御神体としており、縁結びや子宝に御利益があると言われています。また、この神社の神主さんは代々「川童」という姓を名乗っているそうです。
-河童伝説-
 昔、このあたりに住んでいた河童がお姫さまに一目惚れしてしまいました。河童はお姫様の気をひきたくて、お姫様の住む屋敷に通い、魚やキュウリを毎夜届けていましたが、お姫様は河童が毎夜嫌がらせに来ていると思い込み、気味悪く思い怯え眠ることができませんでした。これを聞いた若侍は「私がその河童を退治しよう」といい、姫の着物をかりて、館の前で待ち伏せをしました。そうとは知らない河童は姫に会いたい一心で館に忍び込んできました。その瞬間、侍は河童の腕を刀で切り落としました。
 あわてた河童は、「もうお姫様に会わないから、どうか腕を返してほしい」と一心にたのみました。侍は切られた腕を返せとは、どういうことかと不思議に思い河童に尋ねました。すると河童には河童膏という秘薬があり、それを塗るとたちどころにどんな傷も治るというものでした。侍はこの河童膏を受け取り、腕を返しました。
 その後、侍はこの河童膏のおかげで戦にでてもすぐ傷が治るので、大変活躍し多くの手柄をあげたそうです。(「宮城県の観光情報・ふるさと再発見の旅」より)

社号標
祭礼用旗標
神社入口
年代不明の仙台狛犬
阿吽は反対位置に置かれていますが、現代風な横置きにしてあります。随分上向きの顔で潰れ気味です。阿は上顎の部分が殆どかけてしまいました。鬣は短髪で、尾はいくつかに分かれて背についていますが、殆ど磨耗して模様は定かには見えません。
狛犬の拡大写真はこちらで
昭和2年(1927)生まれの出雲丹後狛犬
(昭和2年(1927)旧6月15日建立)
社殿
社殿縁に置かれた
手押し車に乗った子供の河童像
社殿に架かっている河童の額
境内社 境内社
道祖神社二社
「伝河童棲息之地」と書かれた碑。
近くにはカッパが好むといわれる「片葉の葦」が植えられています。
又、ナマズと共に居眠りをしている河童や、蛙と相撲を取っている河童、
親子河童など様々な河童の彫刻が置かれています。
社務所内にいる張り子の河童。
護符を持ってしっかり豊作祈願をしてくださるようです。
石碑 ご神木と境内の様子
境内右奥には沢山の羽黒トンボが棲息しています。