伊達(いだて)神社

加美郡色麻町四竃町3(平成19年7月26日)

 この神社は羽後街道・国道457号線を北上して、花川を渡るとすぐ右手に鎮座しています。市街地でありながら鎮守の杜はしっかりと護られ、式内社の誇りが感じられます。鳥居の横には、「式内 伊達神社」と刻まれた社号標が建ち、側面には合祀社名が刻まれていました。神門をくぐり階段を上ると境内ですが、境内は古代の円墳上に作られているのだそうです。鳥居には「延喜式内名神大社 伊達神社」、拝殿には「熊埜神社」「香取社」と書かれた社額が架かっています。円墳上ということでコンパクトに纏められた感はありますが、社殿、鐘楼、ご神木などが歴史を感じさせています。

 御祭神:五十猛命、經津主命、武甕槌命、大日靈命、火産靈神、配祀:岐神、興玉命、國之底立命、倉稻魂命、家都御子神、熊野夫須美神、早玉雄神、櫛稻田比賣命
 例祭日:春期例大祭・5月1日、獣魂祭・9月20日、秋季例大祭・10月27日
 境内社:内大社ですが、創祀年代は不詳です。「封内風土記」によると、坂上田村麿東征の折に勧請されたという古社で、式内社 陸奥國色麻郡 伊達神社に比定されています。けれど他に諸説が有り、射楯神を信奉する人々がこの地に移住し播磨国飾磨伊達郷の射楯神社からの勧請で創祀されたものとか、色麻氏の氏神であった、ともいわれています。
 文禄2年(1593)、羽黒修験に改宗しましたが、伊達政宗公が藩主となると、同じ「伊達」の字が付くことを遠慮して、香取塩竃神社と改称し、藩政時代には伊達家の崇敬も篤かったようです。以後、明治になるまで、香取神社と呼ばれ、明治5年、伊達神社に復称されました。

神社遠景
表参道入口 裏参道入口
社号標「式内 伊達神社」 社号標の側面には、
「合祀神社:熊野社、塩竈社、田村社、
今熊野社、八坂社二社、小河社、田中社」
と刻まれています。
神門 石段を上がった境内入口
境内にいる縦置きの昭和7年(1932)生まれの出雲丹後狛犬
(昭和7年(1932)10月28日建立)
永禄時代建造の拝殿 奥の青い屋根が本殿です。
鳥居に架かる額
「延喜式内大社 伊達神社」
拝殿の額
「熊埜神社」「香取社」
挙鼻の龍
木鼻の狛犬と牡丹
拝殿脇の木鼻・象
鐘楼 ご神木大銀杏