諏訪神社

角田市佐倉諏訪脇南4 (平成26年8月2日)

東経140度48分08.42秒、北緯37度59分23.14秒に鎮座。

この神社は、角田市役所の北東3km程の辺り、佐倉の街中に鎮座しております。

御祭神 豊島命・建御名方命・八坂刀売命

由緒
伊久の国造豊島命を奉斎して、佐倉(佐久良)神社と称して来たが(創祀年代不詳)、96代後醐醍天皇の御代、延元(1336)、鎮守府将軍北畠顕家、結城宗廣等と共に義良親王を奉じて陸奥に下向の際、信濃源氏支流臣小野康雄に命じ、信州諏訪大社より諏訪大神(建御名方命、八坂刀売命)の御分霊を勧請し佐倉神社に合祀した。爾後諏訪神社と称す。伊達政宗は大正17年(1589)、当社に戦捷を祈願した。凱旋の時、金幣帛、風折烏帽子、日色鈴を奉納した。又天正18年には(1590)社殿を造営し、1月15日に行われる筒粥の神事の目録を藩内に分けるように命ぜられ、係人を諸郡に出して頒布するようになった。この筒粥の神事は今も続けられている。現在の社殿は、氏子崇敬者の寄進によって本殿は亨和3年(1803)竣功。文化元年(1804)正遷座祭執行。拝殿は文化4年(1807)に成った。棟梁は佐藤善蔵で江戸後期の傑作といわれている。第121代孝明天皇の御代、文久3年(1863)神祇道管領より伊具郡惣鎮守の宣旨を受けた。明治5年3月5日村社に列格。昭和31年、本殿を茅葺屋根よりトタン葺きに替えた。現在の本殿、拝殿の屋根は、昭和56年銅板1文字葺きにふき替えた。付帯工事として幣殿、拝殿の廻緑及び匂欄、擬宝珠、玉垣を改修。総工費2,751万円。昭和56年10月、本殿、拝殿、南の石の鳥居(安政4年(1857)伊具郡講中より奉納)が、角田市の文化財に指定された。
宮城県神社庁公式サイト より。

諏訪神社は、延元元年(1336)に鎮守府将軍北畠顕家が、義良親王を奉じて陸奥に下向した際、信州諏訪大社から諏訪大神の分霊を勧請し、古くからあった佐久良(佐倉)神社に合祀されたと伝えられている。
伊達政宗が、相馬遠征の際当社に戦勝を祈願し、その凱旋のときに金幣帛や烏帽子・日色鈴を奉納して、天正18年(1590)に社殿を造営したとされるが、現在の社殿は、本殿が享和3年(1803)、拝殿は文化4年(1807)に、村民の寄進によって建造されたものである。
建築様式は、本殿が一間社流造り、拝殿は入母屋造り平入で、妻飾り妻飾の虹梁・蟇股・木鼻などは華やかな彫刻で飾られ、江戸時代後期の特色があらわれている。
石鳥居は、安政4年(1857)に建立された明神鳥居で、高さが約 4.2m、笠石は約5.7mあり、市内の石鳥居の中では最も大きい。
角田市教育委員会

神社入口

手水舎

拝殿

本殿


農蠶神社

農蠶神社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和14年(1939)1月1日建立)

若宮八幡神社

神輿殿

神輿

石碑